無敵の人――家庭内モンスターとの四十年戦争

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 高度経済成長の終わる頃、大阪万博が開催された年に、僕は富山県に生まれた。両親は年の差夫婦で、母は父より一回りも年下。僕は父が四十五歳のときに生まれた次男だった。富山弁なのかどうか知らないが、兄は〈アンマ〉と呼ばれ、僕は〈オッジャ〉と呼ばれていた。二人っきりの兄弟といっても三歳のとき生き別れて以来、いっしょに暮らすことは一度もなかった。  三才のとき両親が僕を連れて夜逃げしたから、故郷の記憶はほとんどない。雪が積もってる中をひたすら歩いていたことだけ覚えているが、なんで歩いていたかも覚えていない。  父が誰かの連帯保証人になったために自宅を失った、というのはずっとあとになって母から聞いた。当時、幼児だった僕はわけも分からず父方の神奈川県の親戚に預けられた。しばらくして両親が迎えに来たと思ったら、八丈島という孤島に船で連れていかれた。今思えばセルフ島流し。ひどく船酔いして何度も吐いたことだけ覚えている。何年かそこで両親と暮らし、そのまま島の小学校に入学した。
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