無敵の人――家庭内モンスターとの四十年戦争

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 母が亡くなり、僕は42歳にしてやっと自分の人生を取り返すことができた。頭のおかしい母親をなんとかしろと誰かに怒鳴られることはもうない。母から頻繁にかかってくる電話に怯える必要もない。毎月十二万の介護施設利用費に胃を痛くする日々ともおさらば。  圧倒的な自由を手に入れた僕の中で、離婚の二文字がしだいに存在感を増していった。僕はずっと母の死を願っていた。おそらく子供の頃からずっと。長年僕を苦しめた母が僕の人生から退場して、その願いがとうとう叶ったのに、僕の心にはぽっかりと穴があいたようだった。それが喪失感だとしたら、離婚してさらに妻を失おうとする矛盾した行動に自分自身戸惑っていた。  おそらく長年の母との戦いに非協力的だったという妻の責任を問うには無理のある、そんな僕の身勝手な不満が母の死というタイミングで噴出したものと見られるが、そのことには一切触れず妻に離婚を切り出した。実際に離婚を切り出したのは母の死後四年経ってから。妻には青天の霹靂だっただろうが、僕にとっては悩みに悩みぬいた四年間だった。  二月に離婚を切り出して翌月の三月、離婚成立。御殿場の自宅建物は妻との共有名義だったが、僕の持ち分すべてを妻に財産分与した。もちろん住宅ローンはその時点ですでに返し終わっていた。  当時高校生だった息子は妻と暮らすことを選択。僕は養育費を一括払いして、家族と18年暮らした家を一人で出ていった。そして、元の家から車で三十分ほどかかる、すでに購入してあった沼津市内にある築40年以上の中古住宅に転居した。  当時、僕が勤務する高校に息子が生徒として在籍していたから、家に帰っても会えないが出勤すると息子に会えるという不思議な状況だった。いずれにしても、同じ高校にいる父が離婚して家を出ていったことで、離婚に反対していた彼を傷つけたことは僕が一生忘れてはならないことだ。
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