怪物の眼球

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 久しぶりに感じる学校内という空気は、馬鹿馬鹿しい生徒のやり取りや教師の溜息によりちんけな三文芝居じみていた。  休み時間の度に机や椅子を叩いたり蹴ったりして騒ぐだけの男子生徒、手を叩いて大笑いする女子生徒、大袈裟な迄にドタバタと走る足音、それらに囲まれて生活するなんて僕は二度と味わいたくなかった。故に去年の今頃――受験の頃には不登校になっていたのだが、結局一時だけとしても高校生になる羽目になってしまった。  それは何月か前、僕に或る話が舞い込んできた。よく通っている喫茶店の店主から伝えられた一連の話が興味深く、ついその話に食いついてしまったのが切っ掛けだった。   「なぁ君。君は他人の目に写るものと自分の目に写るものは同じだと思うかい?」 唐突な話題に珈琲牛乳が気管に入りそうになってしまった。それを、今日は煙やってねぇぞと続けて茶化される。目の前でけらけら笑う女こそがここ自称喫茶店、灯籠堂の主の柚木眩である。 「なんだよ、突然どうしたのさ。顔にシミでも見つけたの?」 「おっと、二度とその口利けると思うなよ。いやね、アタシゃそんなの同じに決まってるだろって返したんだけどねぇ…。」 「で、どうなったのさ。」 わざとらしく溜息を吐きながら少々寂しげな表情でこちらを見遣る。 「そんな話じゃない、とさ。それから何だか難しい事をぺらぺらと捲し立てられたよ。視界がうんたら神経がどうとか、早口で一気に言われたって何も解らねぇのにさ。そんで一方的に喋って出ていったよ。」  改めて珈琲牛乳を口に含んで気を落ち着かせる。珈琲牛乳と云うよりも珈琲が多いこれを飲むのは彼女と二人きりの時だけだ。他人の前で飲むと、まだブラックで飲めないのかと揶揄われるからである。それでも少しづつ慣れるように毎回珈琲の割合が多くされているから、互いに口ではあんなでも世話を掛けられているのは確かだ。 「で、その気狂いはどこに座ったの。」 「あぁ、ちょうどお前の今座ってる隣の席だ。」  軽く悪寒が走っただけ。 「まぁ気にすんな。そのうちタイミングが合えば直接話す機会もあるだろう。あぁそうだ、あんまり長いもんで少し録音したんだけど聞いてくかい?」 「あー、内容が少し気になるかな。」 「そうかい、丁度これの音質も確かめたかったから再生してみるか。」 そうしてエプロンのポケットからボイスレコーダーを取り出し、彼女は再生ボタンを押した。 「――に、視界は他人と共有できない代わりに視界は個人それぞれで全くの別物で替えが利かないために眼科手術は近代まで非常に困難で現代でもリスクが高く難しいとされている。眼球と視神経を繋ぐことができれば他人との眼球の共有は現実の物となるであろう!さすれば霊を見たければ霊能者の、明るい世界が見たければ成功者の眼球を移植すれば全ての人が自分の見たい物を見られるようになる幸福な世界になるであろう!」 最後に声が遠ざかりどたどたと覚束無い足音、店のドアのベルが鳴り音声は途切れる。 はぁ、と思わず僕も溜息が溢れる。予想以上の気違い振りだった。 「この人、何かの宗教にでも引っかかったんじゃない?理想の世界をー、みたいな。そもそも視界なんて、目が写したものを脳が見せている様なものなんだから、結局は個人々々の脳味噌の問題じゃないか。他人の視界は見れないけど鏡もカメラも、最近は盲目の人でも視神経に刺激を与えて目が見えるようにもできるんだろう?他人と目を入れ替えるなんて勘違いも甚だしい。僕には理解できないよ。」 「そうかそうか、最近の子は何でも物知りだなぁ。金払いは良かったからその辺は気にしないさね。まぁ、そっちのお仲間は連れてきてほしくはないけど。そうだ、どうやらね、この超理論を自作のサイトに載っけたそうだよ。これはまだ正気を保っていた時分に言っていたんだが随分自信ありげだったなぁ。」 「それだとこの人が教祖じゃないか。そのホームページは何時頃できたんだい。まさかもう教祖様って呼ばれてるんじゃないだろうね。」 「それは結構前――前回来た時から――そう、もう一月前からかね、これはアタシの推測だけどあれから毎日忙しいと言っていたから、まぁその頃だろう。」 「へぇ…じゃあそんな超理論はもうネットの海に流されて行ったんだね。」 「そうそう。嫌がらせや馬鹿にしたメールとかもしょっちゅうあるらしいし…。それでも共感や尊敬…、まぁ信者も少し集まって来ているらしいからそろそろちょっかい出そうかな。」 しれっと自分の飲む分の珈琲を淹れ始め、コーヒーカップとソーサーを選ぶために壁一面を棚にしたそれの前で彼女は立ち止まった。 「話は変わるがこの間、或る高校で傷害事件が起きたそうだ。これまた興味深い話なんだがね、――目の辺りを傷付けられていたそうだ。」 こちらを振り返りニヤつくだけで解る。 結局のところ、僕はこの人には敵わないのだ。  コツンと頭に紙飛行機が打つかる。 このクラス、というか学校は少々――、いや普通に荒れてるようでこの様に紙飛行機が行き交っている。こちらは極力、他の生徒と関わらないように、観察して件の傷害事件の犯人と思しき人物を特定するのが今回僕が依頼された仕事である。地元から離れており、偏差値も低めなお陰で知り合いは誰もここに進学はしていないのがせめてもの救いだ。  私立校だからこそなのか、事件を表沙汰にする事が嫌なのはどこも同じなのか、下手に生徒たちに面談やアンケートを取らせる理由にもいかず――年齢層故か疑うものやそれを広める者も多いらしい。――仕方なく金を積んででもなんとか捜査したかったらしい。それでもまだまだ疑問は残るが――、    「武川クン、それこっち投げて!」 膝の上に落ちた紙飛行機を声の方に向かって投げる。こうもぐちゃぐちゃで先の潰れたものは上手く飛ばないからと既に投げるだけになっているらしい。  こちらに背を向けて隣の席の机の上に座ってクダを巻いているグループがこのクラスで一番上の女子グループらしい。 そして僕の席から真っ直ぐ一番前、そこで足を投げ出したり机に椅子の背に座っているのが男子で一番のグループらしい。そんな僕の席は窓際の一番後ろの席である。他にもある完全な空席は一つ、女子グループが囲んでいる机、これは被害に遭った女子生徒の席である。彼女たちの仲間だったらしく今もその席を中心にだべっている。かの女子生徒はショックが酷い様で冬休み明けの現在も休学しているそうだ。  僕はなるべく会話の様な、本人の意識しない様な、記録に残らない情報を集めて精査して、見極めていく。 「――ほんと、可哀想に。」 「――ねー、あんなに美人なのに。モデルのオーディション受ける前だったらしいじゃん。」 「――てかマジで犯人誰なの?まだ捕まってないとかありえない。」 「――それな、沙耶華もなんで黙ってるんだろ。意味わかんないし。」  そんなに心配するならそのノートの切れ端で千羽鶴でも折ってやれば良いものを。見舞いにも来ていない様だから本心では心配もしていないんだろう。大方一番の美人が居なくなって清々しているのか、自分達とは頭一つ立場が高かったからなのか。  もうすぐ予鈴が鳴りそうな頃、本来の僕の隣の席である生徒が戻ってきた。女子グループ一味はまだそれに気が付かず騒いだままだ。その内の一人が目が合った様で「何?」と睨みつけている。 「いや…。」 「何なの?キモイんだけど。」 「てか何様?今ウチらここ使ってんじゃん。」 「そんなのもわかんない?あぁそっかー、お目々悪いから何も見えないんでちゅかー?」 ギャハハハと手を叩いて大笑いしている。SNSの文に起こすなら''爆ゎら''と表現するんだろう、あんまりな品のなさだ。  件の女子生徒――仁科瞳は今のお隣さんだ。ただ隣の席というだけだけど彼女の置かれている立場は中々なものだ。先ず例の被害者の生徒と隣の席で、そのグループにいじめられている。そうして先の傷害事件が起きたものだから彼女に対する風当たりはより激しくなった様だ。机の中にゴミを詰められたり物を盗まれたりと証拠が残りにくい陰湿なそれらが、たかが中学を出たばかりの自分達こそが最も強いと思い込んでいる連中がやる''若気の至り''を示している。僕にも身近にそれらで酷く傷ついた人がいた。結局その人は自殺してしまったけれど、遅効性の毒に苛まれる人が少しでも減らせられればいいが今は上手く動けない。  あぁ、彼女が今にも泣き出しそうだ。 「私は――」 彼女の声を掻き消すようにチャイムが鳴る。漸く生徒達が席に着き始め、仁科さんは解放された。  まだまだ煩い中、がくりと項垂れ体を震わせながら教材を取り出している。指先が覚束無いまま慌てたのかペンをこちらに向かって取り落とした。 「大丈夫?仁科さん…、」 「いえ…もう慣れてるので…。」 「先生に言おうか?」 「それは、やめて下さい。…これ以上、酷くなるのは…。」 またチャイムが鳴り教師が入室し会話は中断されてしまった。 彼女はもう既に疲弊しきっているのだろう、纏う雰囲気から精神がこれ以上長くは保たなさそうだ。きっと近いうちに自殺してしまうやも知れない。僕の居る内は少しでも元気にさせてやりたいけれど、状況と立場が許さないだろう。  彼女は現在様々な事情に雁字搦めにされている。このクラス自体僕からすれば問題児か無関心な凡人で構成されている群に過ぎないイキった優生思想なのだろうか、この場で一番目が悪く、いじめによる学力低下で眼鏡なのに馬鹿だとかを他の生徒に言われているのを耳にした。おまけに運動神経も悪い様で、それを無理矢理体育の時間にやれ何々が得意だから彼女にやらせろと教師に強制させて大勢の前で失敗させる等、数を挙げればきりがない。故に人々の視線が悪い意味で集中して、動かそうにも解除しようにも危険な爆弾の様になってしまっているからだ。  当然それらに他の、大人しい凡人の部類に入る生徒も気が付いているだろうが自分達の中から動けば新たに次の生贄が選ばれてしまうのを理解しているだろう。下手に目立って教師に目を付けられたら内申書を質に取られているから告発もできない。  だから僕は進学なんてしたくなかったのだ。こう云うものを見掛けるとどうしても解決してやりたくなる性分なのだ。昔々、現在の保護者に引き取られる以前、その家は家訓の様に代々人助けをしていた。僕にもその血が流れているだけ、これは確と受け継がれている。  授業の内容は何とか理解できるが、それ以前が空白でそこを急拵えで何とか埋めた突貫工事なものだから、真っ当な生徒ならば予習復習なんかをすべきなのだろう。その辺も、以前知り合った山崎さんと言う私立探偵が偶然にもこのクラスの担任と友人だというので計画が上手く進み、色々な方面から情報を集める事ができるようになった。彼には後で怪しい生徒について詳しく訊かねばならない。  この高校で起きた傷害事件。放課後、ある女子生徒が何者かに顔を傷つけられたらしい。それが去年の十二月の始め頃、怪しげな眼に関するサイトが出来てそこそこの人気を醸して来た頃と時期が重なる。サイトのアクセス解析をした結果、この学校のPC室から頻繁にメールが届いていたそうだ。IPアドレスを辿り、メールアドレスに校名が入っている事から教員用は除外されPC室の物から度々アクセスされていた事が判明した。何故わざわざスマートフォンや携帯電話を使わずに学校のPCからだったのか、それは僕も直ぐに察した。あのサイトはPCだけで閲覧するためのような、はっきり言えばスマートフォンに対応していなかったのだ。かの――名前は知らないから教祖と呼ぼう。教祖はPCに強くない方だった様でサイト自体が重く、直ぐに端末がページを開いておくのに根を上げてしまうのだ。あれではとてもやり取りどころか、一文を読み切るのも儘ならない。アクセスした生徒が自分のPCを所持していなかったのならば、学校の物から改めてサイトを閲覧するだろう。尤もあれに興味を惹かれたのならであるが。  何故そのサイトの影響の為業なのか、それは傷付けられた箇所が目、それも片目の眼球を抉られていたのだ。被害者――辻元沙耶華が面会謝絶、家族とも直接顔を合わせたくないと中々証言が取れないらしい。それとなく看護師が訊いても直ぐに黙り込んでそっぽを向いているそうだ。現在は落ち着いているものの事件直後は酷く怯えて、常に病室を明るくしておかなければ錯乱し暴れ、抑え込むのも一苦労らしかった。暗所恐怖症も発症したのか、常に灯りを点した病室で過ごしているからか疲れが溜まり寝不足気味で回復するものも遅れているらしい。  そして学校側の対応である。校内で何者かがと言えど誰も不審者等見かけていないのである。そもそもマンモス校と呼ばれている程生徒数が多いのだ。その中で校内で不審者が出たとなればあっという間に話が広まっていく。それが無かったのだから犯人は生徒、教師、或いはそれに準ずる校内に居て誰も疑わない人物なのだ。そこから犯人を特定してくれと言われても、そもそもが無理な話なのだ。監視カメラがある訳でもなく犯行の目撃者はおらず、人の出入りが激しい施設の人気の無い現場。あの妖怪女に言わせてみれば、これはそもそも真犯人を特定する事が目的ではない。ただ適当な人物を捏ち上げて場を収めたいんだろう。ならば犯人は逃走と――、あぁこれだと犯人は民間人という説が発生してしまうのか。何れにしても謎が解けないままだ。    「武川君、ほら、これがうちの委員会の名簿。…この中にいるんだな?」 「川崎先生、僕はまだ何も犯人が見つかったとは一言も言ってないよ。いや、PC室って委員会ならどこの管轄なんだろうって思ってそれだけだよ。」 担任教師の川崎から資料を渡される。そこにはクラス全員がどの委員会に所属しているかの記録だった。 「一応図書委員会が管理してるけど…、それが何か関係しているとか?」 なるべく目立たないようにしたいから職員室の川崎のデスクに椅子を寄せて話しているが、あまり入り浸ると右も左も分からない転校生でも些か知性に欠けていると誤解を受けそうだ。いやこちらを舐めてくれるならそれはそれでいいが―― 「まだ、何とも言えないけど…、先生はどう?犯人はどういう奴だと思う?」 「え?そりゃあ、きっと頭のおかしいなんだ、サイコパスとかそんなんじゃないか?」 「うん、よく分かったよ。」 何とか言いたい事を呑み込んで小声で話を続ける。 「性別はどう思う?」 「男…かな?」 「じゃあ、あのクラスの生徒は疑ってる?」 「…は?生徒?まさかあいつらがそんな事する訳ないだろ、皆普通の学生じゃないか。同級生に傷を負わせるなんて事絶対にしないな。」 資料の写真を撮ってメールで送る。今の言葉もしっかり録音した。これも後程報告して共有する必要がある。校内でしか動けないのがもどかしい。その代わり他で何人も動いてるから僕は僕の担当の領域だけに集中しなければならない。この場での証拠は掴めたから早く行動を移そう――。 職員室からの出入りと開け放たれた教室側のドアとドア、廊下を挟んだ教室の奥に仁科瞳が本を読んでいるのが目に入る。 「なるほどね、――わかった。最後に訊くけど、仁科さんの事をどう思ってる?」 その瞬間、川崎の表情が少々強ばった。 「仁科か…、大人しい奴だな、とは…。」 「他には?」 「他か…、ううん、特に目立った問題も起こさないし…。辻元から小学校は同じだとは聞いていたからあの事件以降は元気が無い様に見えるな。家も近所で中学は別れたそうだが、それ以上の事は何とも…。」 考え込む様な素振りをしているが、胡散臭さが滲み出ている。 「そう、それで十分だよ。先生、もう直ぐで終わりそうだ。」 「本当かい?なら辻元にも連絡しなきゃな。もう安心していいぞーって…。」 連日の緊張で寝不足なのだろうか、どこか疲れた様な笑だった。 「ああ、そうですね――。」 立ち上がり出ていこうとすると、あちら で気になったのだろうか、こちらを向いている仁科瞳と目が合った。慌てて本で顔を隠すのがいじらしい。少しの間だけでも平穏に過ごせているなら上々。彼女にも近いうちに灯籠堂まで来てもらわねばならない。  さて、と女が言う。 「まぁ一杯やりながら情報共有しようじゃないか。君達には素面でいてもらわなくちゃならないから酒は出さないがね。」 この重厚な木製カウンターの中には彼女が呑むようであろう、年代物の酒が沢山詰まっているのだろう。 僕は決まって自分の指定席に腰掛ける。そして大抵は連れ立った人が隣に腰掛ける。彼女とも話しやすいからここ、というのが暗黙の了解だった。 「山崎君から話してくれるかい。アタシは先ず人物の背景から知りたい派なんだ。」 「はいはい分かりましたよ、用意してきましたよ。全く人遣いが荒いんだから…。」 山崎がメモを取り出す。横から盗み見ると走り書きが多いから本人以外ではとてもじゃないが解読は不可能だろう。まるで医者のカルテだ。そうなってしまうのは状況を見ながら記録した証拠に違いないのだが。 「先ず、辻元沙耶華ね。二人も気になってるでしょう。」 そう前置きをして探偵が話し出す。 「辻元沙耶華、真啄高校一年。家は高校から二駅先の砥暮町。同級生の仁科瞳とは小学校でも同級生、中学は別々で高校で再開、現同級生。父親が会社の幹部、母親は専業主婦で幼い頃からピアノとバレエを習わされて小学校では合唱のピアノ伴奏をよく担当していた。昔から美人で近所での評判も良く学校では人気者。人懐っこく教員からも優等生と言われば彼女を思い出すとの事。ここまでが小学校時代の辻元沙耶華についてです。」 家庭状況から近所の住人、かつての教員 からも情報を集めてきた様だ。ここは流石探偵と言うべきなのだろう。 「ふむ、よく調べたじゃないか。では、もう少し切り崩して見てみよう。父親が会社の幹部と言ったね。現代で妻が専業主婦で娘に幾つもお稽古付けさせるんだから小さな会社ではそんな言い方はしないな。故に辻元家は中流家庭か上流家庭、或いはその中間。近所でも評判になるくらいだからだな。あの辺は昔からの家やアパートが多いからそんな家庭だとしたら新しい――きっと子供が出来た頃に建てた一軒家に住んでいる。合ってるかい?きっと家に花も植わっている筈だ。専業主婦は子どもが成長すると日中家では孤独になりがちだからね。」 にやりと口角を歪めながら名推理とでも言いたげな目だった。 「あぁ、そうです。よくお解りで…。」 予想外の推理に若干狼狽えたのだろう、山崎は肩を竦めている。 「ははぁ、さては山崎君、まだアタシの事を信用していないな?こちとらそういった事なら君よりも長く見てきたんだよ。次だ、よくピアノ伴奏をした、と云うには他にもピアノを弾ける子供が同級生に居たんだな?」 「さいですか。はい、その通りでございます。それが次にお話する仁科瞳さんです。辻元沙耶華についてはまた後程。」 珈琲で一旦喉を潤すと今迄とは対照的な人物情報が語られた。 「仁科瞳、真啄高校一年、家は研暮町――ここは割愛していいでしょう。母親がシングルマザーで工場勤め。辻元家と近所のアパートに小学校の頃から在住。こちらは近所の住人に名前も覚えられていなかった。沙耶華ちゃんと同い年の子が近所に居た、という証言とそんな子いたっけねと言う証言あり。小学校ではぱっとしない地味な子供、教員の方も殆ど覚えてる人は居ませんでした。ただ、さっきも出た通りピアノを習っていた、と言うのが引っかかりますね。」 「ほう?その心は。」 「昔、事件があったそうです。ピアノ伴奏に関して…。それが結構、修羅場と言いますか…。」 「そういうのいいから成る可く早く頼むよ。坊やが眠そうだ。」 「発言しない=眠いって発想になるなんて随分短気だね。」 僕が今発言しても話が逸れるだけだろうと見越してずっと黙っていただけなのだが、これ以上収集が付かなくなる前に情報を出し切らなければ。 「小学校の五年、辻元沙耶華を除いて初めて、ピアノが弾けると言って仁科瞳が伴奏に名乗りを上げたんだ。教師として、どちらかを贔屓する訳にも往かず二人に同じ楽譜を渡し、二週間後に皆の前でテストするから練習してきなさいと言ったそうだ。二週間後、授業中に他の生徒に後ろを向かせ、どっちの伴奏が良かったか手を挙げろと言ったそうだ。結果として例年通り辻元沙耶華に決まったそうなんだが、その時の先生の顔がちょっと…、」 「ちょっとなんだい、どんな表情だったんだ。」 「悲しそうだったんだ。仁科瞳の演奏は緊張でボロボロだったそうだ。誰も歌わないで笑い声すら上がったらしい。最初がいい人、後のがいい人、仁科瞳は最初に引かせたのだと。その先生も後悔していたみたいだ。これが全てです。」 僕の頭の中で曖昧だったイメージを組み立てる。 小学校の事件。 高校での事件。 地味な生徒。 派手な生徒。 取り巻きの生徒。 何かを隠している担任教師。 こんなの、最初から答えが出ている様なものじゃないか。 それでも、何かが足りない。 「ふむ、それなら仁科瞳は辻元沙耶華を怨んでいてもおかしくないな?因縁の相手だけどそれがどうしてあのサイトに繋がるかね…。まぁ柳夜坊の話を聞くのが先かね。」 漸く僕に話が振られ、やっと自分の名前が戻ってきた気がした。名前を偽って日常的にそれで呼ばれているから変な気分だ。篝柳夜、これが僕の名前だ。学校内では武川葵という名前で通してある。 「はい、先ずはどこから話すべきかな。どれも長くなりそうだから、短い事から話していくよ。」 成る可く主観を無くすため、客観的に話すように心がけなければならない。 「先ず、辻元沙耶華の取り巻きの生徒について。取り巻きは三人、滝本真帆、篠田百合、山田梨絵。その三人が中学から同じでずっと連んでいるらしい。席は離れているけど辻元沙耶華の席の周囲は強制的に溜まり場になっていたらしい。これは他の大人しい生徒からの証言。で、川崎さんに融通して元は一番後ろの席は廊下側が一つ空いていたのをずらしてもらって見渡しやすい一番後ろの窓際の席を開けてもらった。でもその前の席替えで一悶着あったらしい。…それが、辻元沙耶華が仁科さんがどうしても一番後ろが良いと言っている、と勝手に言ったらしい。そして一番後ろの自分の隣に無理矢理変えさせたそうだ。無理矢理っていうのは、仁科瞳は目が悪くて四月の最初の席替えで後ろの席から前の席に交換されていたらしいんだ。そして現在、仁科瞳の席は辻元沙耶華と僕の席の間になっている。そのお陰で盗み聞きもしやすいし話しかけ易いんだけど、ちょっとこれを見て。」 そこで区切りプリントを取り出す。 「これが委員会。PC室の管理は図書委員がしているみたい。図書室とPC室が隣接していて繋がっているからだそうだけど、ここ、仁科瞳は図書委員をやっている。前によく仁科瞳以外の図書委員に訊いてみたけどサイト設立後PC室によく通う生徒は誰も居なかったらしい。でも図書委員ならPC室によく通っていてもおかしくないないんじゃないかな。まだ仁科瞳とは直接話した回数は少ないけど、明日じっくり話を訊いてみようと思う。生徒に関しては…以上です。」 一気に話したお陰でどっと疲れが吹き出したようだ。それでもまだ報告はし足りない。まだまだ材料なら残っているのだ。 「おつかれ、学生は大変だなぁ。今はまだ何も言う事はないな。でだ、事件については一部の生徒と教職員しか知らないんだろう?何か噂になっていないか?」 「噂はちょっと追い切れないかな。人数がクラス内ならまだしも、他は膨大だから…、それにうちのクラス、大人しい奴か煩い奴しかいないし。」 自分の非力さを嘆きかけた矢先だった。 「じゃーん、こちら学校掲示板とSNSの投稿のコピーになります。」 呑気な声と共に店主はカウンターの内から紙束を取り出した。 「な、何ですかこれ…柚木さん、サイバー方面に強かったんですか?」 「まあね。今も上でうちの子に張り付いて貰ってるよ。坊や、これが終わった後であの子に会いに行ってもいいんだぜ。今日はお泊まりだから何時まで遅くなってもいいからなぁ。」
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