第二章 戦闘者のギルド

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第二章 戦闘者のギルド

 ――お前の目は、父さんと同じ色だ。  幼いテラを寝台に寝かしつける時、母はいつもそう言ったものだった。もっとも、優秀な戦士であったテラの母は常に家にいたわけではないから、そんな風に寝かしつけられたのは、まだほんとうに幼い頃、三歳とか四歳とか――本当なら記憶にだって残らないくらい子供の頃であったに違いないのだけれど。  ギルドの中だけでなく、グリジア王宮にさえもその名を知られた赤毛の女剣士。その美貌と剣の腕前。  しかしそんな彼女にも、眠れぬ夜はあった。テラが夜更けに目を覚ますと、テーブルの上に肘をつき、ぼんやりと外を眺めているということが。 蒼穹と同じ色の瞳からあふれ出す透明な液体を、母の唇が歪み、そこから絶え間なくこぼれ落ちる押し殺した嗚咽を、幾度目にしたことだろう。  テラには、父親がない。周囲の人間も、彼らの女戦士が身籠もった子が誰の種であるかわからなかった。  暗殺や戦闘に手を染める女が、自身の体を武器にすることは決して珍しくはないし、責められることでもない。夫や恋人のいる女だって、それが必要とあれば男と寝るし、夫の側だって特に咎めることもない。それでも女心というものはあるから、最初の任務に赴く直前の若い娘が、直前に想う相手と仮祝言をあげる――などという風習もあったりはするが。  しかしその行為によって、子を孕むことは御法度だ。ギルドの女が生む子は、優れた戦士でなければならぬ。彼女たちがたらしこむ相手の種であってはならないのだ。  優秀な戦士になれるはずのない子供。優れた女剣士が、恐らくは自身が殺した男との間にもうけた子。  ――それが、テラだった。  戦闘者のギルド。  青々と生い茂る森を抜け、山をかき分け、険しい谷にかかる吊り橋を2つ越えた所に、その村はある。 周囲を堅牢な砦に囲まれたその村は、一見したかぎり、何を生業(なりわい)としているのかはわからない。時折炭焼き小屋から上がる黒煙を見つけた誰かが、ああ、炭焼きの里か――と思うくらいが関の山である。  だが一歩その中に足を踏み入れれば、様子は激変する。  剣と剣を打ち据える音。絶え間なく続く、金属を打ち鳴らす音。それらの音に混じって赤子の泣き声や、子供達の歓声といった生活の音がする。 若い男だけではない。ようやく十になったばかりの幼子から、赤子を背に括り付けた若い母親まで、そこで暮らすすべての人間が、何らかの武器を帯びている。  それが、この村の人間達の特徴であった。 「――帰ってきたぞ!」  物見櫓に控えていた若い男が声を張り上げた。途端、わらわらと人が通りに集まってくる。誰もが皆、その中にいるであろう、自分の大切な者の姿を目で探していた。  やがて、門が開かれると、先頭に立って入ってきた人物の姿が露わになった。燃えるような深紅の髪。均整のとれた体つきと、そして何よりも、青空と同じ色に、凛と浮かんだ意志が美しい。 「――母さん!お帰りなさい!」  仕事に出かけていた者たちをねぎらう、ギルドの里人の群れ。その中に、十三歳のテラはあった。 「――皇太子孫シリウス。それがその男の名だ」  夜も深まり、里を取り囲む木々の葉が、完全に闇と一体化した頃。戦闘者のギルドの主要なメンバーを集めた集会場には、赤々と灯火が燃えていた。光を求める羽虫が、次々と寄り集まっては、炎の中へ散ってゆく。 「それで、その男をどう思った。――カウラ?」  問われた女の白い頬の上に、灯火が複雑な斑紋を描いて揺れ動く 彼女はかつて、戦場を生活場とするこの集団において戦乙女の異名を持っていた。彼女が戦場に立てば、決して負けることがない。乙女と呼ぶにはいささか薹が立ちすぎた今、さすがにその名を呼ぶ者はなくなったが、それでも無敗の伝説だけはまだ根強く残っている。 「シリウス二世の罪は二つある。民を虐げていることだけじゃない。国政をまったく顧みないから、政治は奸臣の独断場になってしまった。本来、それを行うべきではないものに国政への進入を許した。二つの罪において彼は罰される必要がある――そう言った皇太孫の言葉に嘘はないように思った」  艶やかな朱色の唇に、わずかばかり笑みらしい表情が浮いた。  戦闘者のギルドは、傭兵ではない。報酬と引き換えに戦闘や暗殺に手を貸しても、常に時の為政者とは距離を置いてきた。並外れた戦闘術を持つ彼らを取り込もうとした王や施政者は少なくなかったが、その技術を政治の場に持ち込むことを、好まないのだ。  したがって、現王シリウス二世に反旗を翻す、皇太孫シリウスの勢力からの助力の要請を、彼らははじめ、拒むつもりで王都に赴いたのだ。だが実際に彼らに会ったギルドの手練たちは、愚王の孫である若者の言葉に、予想外の好印象を受けて帰ってきたらしい。 「……まあ、いささか理想論すぎる気もするがな」  皇太孫はまだ若い。国の荒廃と祖父の放埒に怒る若者の言葉としては仕方ない部分もあろうが、それを補って余りあるほど、彼は国の現状を憂いているように思われた。  事実、現在のこの国の有様は目に余る。官吏の横暴は過酷を極め、しかし、それを罰するものがいない。大地から糧を得られぬ民は街へ流れ、農村はその人口の半数あまりを失った。税の大半は奸臣の懐に消えるので、堤一つ壊れても、補修するすべなく放置されているのが現状だ。 「ああ、それから。皇太孫の脇に控えていた二人の少年。一人は珍しい黒髪だったが……あれはいい目をしていたな。将来が楽しみだ」  それでは、と男の一人が膝を打った。すでに老齢といってもいい年齢の男だが、その体躯は逞しい。鋼のように鋭い筋肉は、彼が並々ならぬ武芸者であることを物語っている。 「カウラの判断を信じようではないか」 「頭領!では……」 「我々戦闘者のギルドは今この時をもって、皇太孫シリウス殿下を国主と認め、国王シリウス二世に反旗を翻す。異論のある者は即刻、この里から立ち去ってもらおう」  しばし、沈黙が落ちる。しかしその場から立ち上がろうとするものは、一人もいなかった。  一方、その頃、村はずれの自宅で寝台に入りながら、テラは眠れぬ時間を送っていた。  何しろ、母が帰ってきたのは半月ぶりだ。話したいことも、聞いて欲しいことも、伝えねばならぬことも山のようにある。枕に片耳を押しつけながら、テラは母が帰ってくる気配を、今か今かと待ちかまえていた。  どこか近いところで梟の鳴く声がする。彼らは火のあるところには人がいると知って寄ってこないから、恐らく集会場の炎ももう消され、集まり自体も終りを迎えたのだろう。  いてもたってもいられず、テラは寝台から身を起こす。  ――その時、窓の外で声がした。 「――待ってくれ、わたしの話を聞いてくれ!」  いつも戦いの場において声を張り上げている所為だろう。母の声は良く響く。恐らく、小屋の中で眠っているはずの娘のことを考えてだろう、今、その声は潜められていたが、それでも赤毛の女戦士の発する声は、夜陰を切り裂くだけの鋭さを持っていた。 「わたしのことはいい。信用できないというのなら、それで構わない。だが頼むからテラのことは認めてやってくれ。あの娘だってもうすぐ十四で――」  がさり、と足下で草が揺れる。物陰に隠れて彼らのやりとりを見ていたテラは、それが自分の出した音かと思ってどきりとしたが、実際はテラの発した音ではなく、母と向き合っていた人物が、草を踏みしめた音だった。 「ああ、そうだ。証拠なんかどこにもない。だけど、だけどそれでも……」  母と相対している人間が、何事か呟いたのがわかった。だがその声はあまりにも低くて、テラには聞き取ることができない。  わずかばかりの月の光と虫の音に混じって、母の肩が小さく震えたのがわかった。  一体、二人は何の会話をしているのだろう。漆黒の空を雲が流れ、これまで隠れていた月が姿を現す。研ぎ澄まされた武具のように、鋭い光。テラは思わず、ふるり、と身震いする。  光源を得てもなお、母――カウラは我が娘の存在に気づかない。鍛え上げられた戦士には考えられぬ失態だ。彼女の立ち位置から、テラの場所は逆光に照らされて見ることができないのかもしれない。だがテラからは、母の顔がよく見えた。  色の白い肌、燃えるように深紅の髪、そして蒼穹と同じ色をした瞳。二つの頬は上気し、唇の朱色だけが、何故かやけに生々しい。  戦士ではない。母親でさえもない。  これは――女の顔だ。 「それでも……テラはお前の子なんだ」  女は絞り出すように声を発する。その言葉の意味が身体に染み入ると同時に、テラはその場に立ちすくんだ。 「頼むから、それだけは、信じてくれ……」  息をすることさえ忘れた少女の耳元で、夜空を羽ばたく梟の羽音と鳴き声だけが、いつまでも鮮やかに響いていた。
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