夢の場所

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 俺は目の前に置かれた朝食に手を出せないでいた。ワンプレートに乗せられた焼きたてのクロワッサンとソーセージに、彩り野菜のサラダとスープ。一仕事終えた後の俺の腹は食欲をそそる匂いと見た目に空腹を訴えている。口の中も涎で溢れそうだが、食べたら消えてしまうと思うとなかなか手を伸ばすことが出来なかった。  だってこれは憧れのあずささんの手料理だ。 「どうしたの? お腹すいてるでしょ?」  そうして感動に浸っていると、なかなか食べない俺にカウンターの中で作業をしていたあずささんが不思議そうに首を傾けた。 「温かいうちに食べてね」 「……いただきます」  その言葉に促され、俺はゆっくりと手を合わせてからスープを一口飲んだ。温かく体に染み入る優しい味に食欲を刺激され、そのままパン、ソーセージと手を伸ばす。あまりのおいしさに食べるのを躊躇していたことが嘘のように手が止まらない。 「いい食べっぷりだね」  俺の勢いに微笑んで言うあずささんに我に返り気恥ずかしくなった。赤くなった顔を隠すように俯いて「おいしいので」とそれだけ返すので精いっぱいだった。  朝の陽ざしが入るカフェの店内であずささんと二人きり。  俺は勇気を出して良かったと、過去の俺自身を褒めたたえた。  大学までの通学路に、少し前から気になっている店があった。その店の窓に真新しい張り紙が貼ってあるのを見つけたのは一か月前。アルバイト募集のチラシだった。  この店はカフェと服屋が一緒になっている。アレルギー対応をうたった商品を取り扱っている店内には親子連れや女性客がほとんどで、男が一人で入って行くのには勇気がいる。だから、まだ中には一度も入れたことは無い。  アパートの一室でスマホの画面と睨めっこしたまま、どれだけ時間が過ぎただろうか。画面には担当者の連絡先が入力されている。後は発信ボタンを押すだけの状態だ。  なのに後一押しが進まない。  俺は目をつむり、深呼吸を一度した。 「……よし!」  こんなチャンスでもなければ、一生訪れることも出来ないと勇気を出す。そもそも、採用になるとは限らないのだしと震える指先で呼び出し音を聞いたのだった。
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