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「……着いたよ」
目的の星に、いよいよ到着した。その星に着陸することはできないため、その星の近くを宇宙船がゆっくりと遊覧飛行を始める。
俺たち以外に三組の乗客がいたが、全員、星に夢中になっている。無理もない。その星はまるで真珠のような美しさだった。
俺の肩に彼女が頭を乗せる。それをスタッフが見て、小首を傾げる。何故、星を見ないのかと。
俺と彼女は星に背を向け、船内の白い壁を見つめていた。星から目をそらすためにはそうする他なかった。
星を見てしまったら、全てが終わってしまうことを知っているから。
二人の間に沈黙が流れる。それは知らない者同士が対面したような気まずさを伴ったものではなかったが、恋愛関係のような甘酸っぱさを含んだものでもなかった。
そこにあったのは、寂寥だった。
でも、いつまでもそんなことをしているわけにはいかない。ここに来た目的がある。そのために、身を粉にして苦労に苦労を重ねて、はるばる宇宙にあるこの星まで来たのだから。
俺はいよいよ覚悟を決めて、彼女から離れ、窓に近づく。その背中を彼女がつかもうとしたのを感じたが、それは無視するしかなかった。そうしなければ、いつまで経っても目的を果たせないままになる。
俺は真珠の星に目を向ける。
……いや、正しく言おう。
俺は彼女を迎えに来た船を探すために、窓の外に目を向けた。
ここに来た目的。それは、宇宙人である彼女を故郷に帰すためだ。
真珠の星から少し離れたところに、わずかだが、揺らぎがある箇所があった。普通、まず気が付かない。そこに宇宙船があるかもしれない、という意識を持っているからこそ見つけられた。恐らく、そこに迎えの船が来ているのだろう。
俺は大きく息を吸って、小さく長い息を吐いた。
これで、おしまいだ。
俺は船を見つけたことを、彼女に報告しようと振り返る。そして、少しの逡巡の後、口を開こうとする。
けれど、それは彼女によって阻止された。彼女の唇によって、阻止された。
しばらく、彼女は俺から離れようとしなかった。唇を強く押し当て、体をきつく抱きしめてくる。
本音を言えば、ずっとそうしていたかった。
許されるなら、ずっと、ずっと、いつまでもそうしていたかった。
そうしていれば、彼女を手放さなくて済むから。
だけど、それでは彼女のためにならない。
俺は彼女の両肩を持ち、そっと俺から離す。彼女は少しだけ抵抗する素振りを見せる。でも、俺は少しだけ力を込めて、彼女を俺から離した。
離れた彼女の顔は、もう、見ていられなかった。顔はまるで丸められた紙のようにくしゃくしゃになり、頬はさくらんぼのように真っ赤になり、瞳からは大雨に打たれていてもわかる程の大粒の涙が止めどなく溢れ出ていた。
「わ、わたしッ! あなたとッ! 離れたくッ! ないッ!」
彼女の言葉に、自分の心が締め付けられるのがわかる。心臓を鷲掴みにされて、握りつぶされそうになっているような心地だった。
俺は奥歯を噛み潰す。こんなにも苦しいのは、その感情を無視しなければならないからだ。
「……今まで、ありがとな」
言葉を何とか捻り出す。言葉はかすれ、震えていた。
全身に命令する。泣くな、泣くな、泣くな、泣くな、泣くな、泣くな、と。俺は彼女を故郷に返すと決めたときに決めていた。別れの時は、泣き顔ではなく、笑顔で送ろうと。最高の笑顔で送ろうと。
いつか、俺のことを思い出してくれた時に、その笑顔の俺を思い出して欲しいから。
それなのに、それなのに!
涙は、勝手に溢れ出てきてしまう。最高の笑顔を作ろうと、必死で取り繕った歪な笑顔で、俺は泣いていた。
最悪だ。最悪の笑顔だ。無様も無様な笑顔だ。だけど、これ以上の笑顔を作り出すことができない。
「今まで、ありがとう。こんな俺の傍にいてくれて。君と過ごした日々は楽しかった。楽しくて、楽しくて、楽しすぎた!」
これは彼女には言っていないけれど、彼女と出会ったあの時、俺は自分の死に場所を探していた。
人生に絶望していたから。
仕事もうまくいかず、人間関係もうまくいかない。恋人もいない、家族はろくでもなかったから、いないものとして生きてきた。
自分の人生は良いことなんてなかった。些細な幸せすら、見つからないような人生だった。
でも、彼女と出会った。あの時、彼女は墜落し、壊れた宇宙船の前で絶望していた。
それを俺はさすがに見捨てることはできなかった。だから、手を差し出した。
俺は彼女を生かすためにとにかく頑張った。お金がなくては始まらないので、仕事を探した。仕事で嫌なことがあっても、すぐにやめなかった。だって、彼女がいたから。
彼女は俺がいなくなってしまえば、この先、路頭に迷ってしまうだろうから。俺がどうにかしなくてはならなかったから。
彼女は俺が彼女を助けたと思っている。それは間違いじゃない。でも、それ以上に俺は彼女に救われている。彼女と言う存在が、俺を生かしてくれている。
だから、願いが叶うならば、彼女を手放したくない。ずっと一緒にいたい。ずっと一緒に笑い合っていたい。
でも、それは叶わない。それは、俺がどんなに頑張っても叶えられない願いだ。
彼女と俺は生きる世界が違うから。生きる宇宙が違うから。
「俺は君を忘れない。君が僕を忘れる日が来ても、僕は君を忘れない。死ぬまで……いや、死んでも忘れない。生まれ変わりがあるなら、生まれ変わった後も忘れない!」
それほどまでに、君が大切だから。君がいてくれたから、僕は生きることを諦めずに済んだから!
君が現れてくれたから、僕は世界に、宇宙に希望を見出すことができたから。
彼女は俺に近づき、ぎゅっと抱きしめてくれる。それは先ほどとは違う。柔らかな抱擁だった。
ああ、これが最後だ。この抱擁が終わったとき、彼女は故郷へと帰っていく。
俺は彼女を強く抱きしめる。その体温を俺の体に刻み込むように。
「わたしこそ忘れないよ。忘れられるわけがないよ。あなたは、わたしの命の恩人だもの。いや、それだけじゃない。あなたは、わたしにとって、何よりも、誰よりも大切な存在だから。忘れたいと思っても、忘れられないよ。忘れられるわけがないよ」
彼女が俺を俺よりも強く抱きしめてくれる。
「本音を言えば、あなたをわたしの星に連れて帰りたい。地球でも構わない。場所なんてどこでもいい、一緒に、ずっと一緒に暮らしていきたい。死ぬまで傍にいたい。でも、この願いは叶わない」
それは俺も理解している。彼女の住む星では、俺は生命を維持することができない。要因は様々あり、到底、解決できるようなレベルではない。
逆に、彼女が地球に残ればいい、という考えもあるだろう。しかし、それもできない。彼女は地球にいる間、毒をずっと飲んでいるような状態とのことだった。ある程度の期間は生きられても、その期間は長くない。数年、一緒に暮したが、彼女曰く、あと二年ほどで限界が来るとのことだった。
結局のところ、俺たちは自分たちの宇宙で暮らす他ない。それが宇宙の理なのだろう。
「ありがとう。本当にありがとう。どれほど感謝の言葉を口にしても足りないけど、ありがとう。あなたに出会えて、本当に良かった。心の底から、良かった。本当に、本当に、ありがとう」
俺たちは互いを強く抱きしめた。互いが一つに溶け合ってしまうと錯覚するほど、きつく抱きしめた。
けれど、それも終わりの時が来る。終わりにしなければいけない時が来る。
「まもなく、この宇宙船はステーションへの帰還を開始します。この星の美しさを、是非、最後まで目に焼き付けてください」
アナウンスが流れ終わると同時に、俺たちは名残惜しさを押し殺しながら、ゆっくりと離れた。
「……お別れの時間だ」
「……うん」
彼女は荷物を手にする。そして、ゆっくりと窓に近づいていく。
「今まで、本当にありがとう」
振り返った彼女の顔は、今までのどんな彼女よりも美しかった。
大粒の涙。
赤らんだ鼻や耳。
八の字に下がった眉。
そして、精いっぱいの笑顔。
「わたしはあなたのことを愛しています」
その言葉と同時に、宇宙船が閃光に包まれた。
宇宙船内があわただしくなる。何か攻撃を受けたのか? 何か機器の異常はないか? などとスタッフが機器の確認や乗客の安全確認に走る。
俺はその喧噪の中、静かに窓に触れた。
「俺は君以上に君を愛しているよ」
俺は窓から手を離す。そして、窓に向かってバイバイと手を振る。
「さあ、ここからだ」
ここから先の人生は一人だ。もしかしたら、誰かと結婚して、子供が生まれる人生が待っているかもしれない。
だけど、少なくともしばらくは一人だ。
だけど、一人でも頑張りたいと思う。そう、思えるようなった。
いつか、科学技術が進歩して、彼女と再会できるかもしれない。その時に、胸を張って、俺はこんな人生を歩んできたよ、って伝えたいから。
「……その科学技術の進歩、いや、革新を俺がしてもいいのか」
そんな考えが浮かんでしまった。そして、それは名案だと思えた。
誰かに自分の見たい未来を委ねるのではなく、自分自身の手で未来を切り拓こうじゃないか。
「まあ、宇宙に来るために頑張り尽くしたことを思えば、できなくはなさそうだな」
俺は一人呟きながら、一人笑みを漏らした。
地球に帰った後の人生を、自然と考え始めていた。
~FIN~
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