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「結構、快適だったな」
一週間後、俺たちは宇宙エレベーターの終着駅に降り立った。このステーションと呼ばれる場所から宇宙船に乗り込み、星々への遊覧飛行が始まる。ちなみに、今日は四隻の宇宙船がここから各星へと出立する。
それにしても、宇宙エレベーター内は非常に快適だった。俺たち以外に四組が同乗したが、各々の部屋が用意されており、言ってしまえば、ホテルみたいな快適さだった。食事も飲み物も提供され、どれも高級ホテルのシェフが監修していることから美味でしかなかった。最も、五年間、ジャムのない食パンや白米だけで過ごしてきた身なので、何でもおいしく感じただろうけど。
「あの料理、また食べたいなあ」
傍らで彼女がよだれを垂らす。それを慌てて拭いたが、俺に見られていることに気が付き、照れ笑いを浮かべた。
「帰りも食べられますよ」
エレベーター内で懇意にしてくれた老夫婦が、にこやかに彼女に教えてくれる。
「……そうですよね。帰りも、同じように帰るんですもんね」
彼女は俺をちらりと見たが、俺はそれに気が付かないふりをした。
「それでは、お先に失礼しますよ」
老夫婦は仲睦まじく手を取り合いながら、俺たちとは違う宇宙船へと向かう道へと進んでいった。
「じゃあ、俺たちも行こうか」
「……うん」
俺たちは二人並んでステーションの中を進む。当たり前だが、窓の外には宇宙空間が広がっており、地球の姿も望むことができる。
ふと、彼女が地球に目をやり、立ち止まった。
「本当に、色々なことがあったよね。楽しいことばっかりじゃなかったけど、でも、楽しかった」
ここまでの苦労を思い出しているのだろう。
「そうだな。トラブルがあったり、喧嘩もしたりしたしな」
「トラブルには、まあ、参ったけど、喧嘩は楽しい思い出だよ」
「そうなのか? 楽しい喧嘩をした覚えはないけど」
「今にして思えばって話だよ。その時は、このまま、家を出てやろうか! っていうぐらいには怒り狂ってたよ」
彼女はくすくすと笑う。たしかに、言われてみれば、いい思い出と言えるかもしれない。
「その後にした仲直りも、面白かったし」
「……それは忘れて欲しいな」
彼女が破顔する。俺はむくれてそっぽを向く。
「あれを忘れるのは無理だよ! 多分、一生忘れない。だって、赤いバラを百本も持って、しかもタキシードまで着て謝ってきたんだよ? 忘れたくても忘れられないよ!」
「いや、あの時は、本当に出て行っちゃうかもしれないって思って、なんとかしなくちゃって焦って、あんなことしちゃったんだよ。もう、忘れてくれ」
「だから、無理だって! お父さんとお母さんにも、こんな人がいたんだよって言いふらす予定」
俺は頭を抱えた。
「勘弁して……」
「勘弁しません」
彼女は舌をぺろっと出して、いたずらに笑う。
だが、不意に寂しそうな表情になった。
「この地球っていう丸い惑星に、わたしの色々な思い出があると思うと、なんだか感傷的な気分になっちゃうね」
彼女は俺の隣で、ピタリと体をつけてきた。
「ありがとね、本当に」
俺はそれに何も言葉を返せなかった。ただ、俺は彼女の数歩先に歩み出た。そして、振り向き、彼女に手を差し出した。
彼女は俺の手をじっと見つめた。
「……手相が気になるのか?」
「このタイミングで手相が気になるわけないでしょ」
そりゃそうか。
「……ねぇ、言って欲しいな」
小首を傾げる。
「何をだ?」
「始まりの言葉」
合点がいった。俺と彼女の関係は、困っている彼女に対し、俺が手を差し出し、声をかけたところから始まっている。
でも、口にするのは、嫌だった。あの言葉も俺の中では黒歴史の一つだからだ。
俺は露骨に嫌そうな顔をする。だが、彼女はじっと俺の目を覗き込んできた。
あの時の、困り果てた、絶望的という感情一色に染まった目とは違う目だった。
俺からの言葉が欲しいという力強さと、寂寥が交じり合った複雑な感情の目だ。
俺は諦めを体現するように、深いため息を一つ吐いた。そして、あの言葉を口にする。
「お嬢さん、お困りなら、手を貸しましょうか?」
お嬢さん、なんて口にしたのはあの時が始めてだ。困っている彼女に何と声をかければいいかわからず、振り絞って出てきたのが、大好きな漫画のキャラクターのこのセリフだった。普通に声をかけれる人間に生まれたかった。
彼女は恥ずかしそうにする俺の手をすんなりと取った。
「お願いします」
あの時は違った。
あの時の彼女は俺から逃げるように身を縮めた。でも、逃げることはできず、ただただ、絶望に染まった瞳を俺に向けてくるだけだった。
あの時は、まさか、こんな気持ちになるなんて思いもしなかった。
「どうかした?」
「いや、別に」
俺は彼女の手を引いて、宇宙船への道を進む。
二人の足取りは心なしか重たかった。
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