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 一分ほどで非常電源に切り替わった。ぼんやりと入り口の上の赤いランプが灯り、それが水槽の水を不気味に照らす。まだ二匹のメダカは生きているようだったけれど以前ヨウコに教えてもらった通りなら、このまま電源復旧が遅れれば酸素は尽き、やがて彼らは死んでしまう。 「雷でも落ちたのかな」 「もしこれが誰かによって意図的に停電にされたものなら、わたしたちは一生このままかも知れない」  大丈夫。誰かが助けに来てくれる――そう言い聞かせたけれどヨウコの震えは収まらない。 「ねえ、イチミヤさん。なんだか息苦しくない?」 「そう? 私は別に」 「ひょっとして空調、止まってる?」  ヨウコに言われて私は立ち上がり、手を天井の方へと向ける。よく分からない。でも言われてみれば風はないし機械の音もしないように思う。そもそも非常電源でどのレベルの設備が維持されるのか分からないし、区画によっては完全に停止してしまうことも考えられる。  端末を見ると電波も繋がっていない。完全に孤立していた。 「ねえ、ヨウコ」 「な、何、イチミヤさん?」  怯えるヨウコの顔をこちらに向けると、私は自分のヘルメットに手をやり、それを外した。 「何やってるのよ!」 「何って、息苦しいなら取っちゃえばいいかなって」 「早くヘルメットして! もし空調が止まってて正常化機能も動いてないならイチミヤさん感染してしまうのよ?」  ヨウコは慌てて私の手からヘルメットを奪おうとしたが私はそれを思い切りドアに投げつけてやる。ヘルメットは鈍い音がして床に転がり、その白銀の表皮が非常灯で赤く照らされた。 「ぜーんぜん、大丈夫だよ。実は私ね、ときどきこうやってヘルメット取ってたんだ」 「なんで、そんなこと?」 「だってこっちの方が楽だもん。夏場なんかむれて酷いのにみんなほんとによく平気だなって思うくらい」  私の口ぶりにヨウコは言葉を失っていた。でもそんな彼女の前で今度は防護スーツまで脱ぎ始める。ジッパーを下ろして胸元から左右に開き、腕を露出させ、そのまま腰まで下ろす。たったそれだけのことで開放感はこの上ない。私は脚の部分まで全部脱いでしまうと、それをくしゃっと床にまるめて置いた。 「どう?」 「どうって……」  私のスーツの下にはネットで手に入れた昔の学生服、それもセーラー服と呼ばれていたものが着られていた。紺色の生地で白の襟と赤いリボンという当時であればオーソドックスなものだ。 「ほんとならね、私たちってこういう制服を着て学校生活を送っていたんだよ? 今の誰が誰だかよく分からないスーツよりもずっとこっちの方が可愛いって思わない?」  でも、とか、けど、という言葉を声にしたけれど、ヨウコはそれ以上何も言おうとしなかった。こんな暗い場所じゃなかったらもっと彼女に見てもらえるのに非常灯の下に立っても私の姿はぼんやりとしている。 「ヨウコも着てみる?」 「え……」  駄目とか無理とか、そういった否定の言葉は出てこない。ヨウコは私の提案を真剣に考えてくれているようだ。 「まずはそれ、脱いじゃう?」  私が彼女のヘルメットに手をやると、彼女はその手を退かして自分でヘルメットを外した。長い髪の毛が生き物のように(あふ)()し、整った彼女の顔の脇に垂れ下がる。 「綺麗……」 「なんか、恥ずかしい」  俯いて口元をぎゅっと結ぶ、その彼女の表情が薄暗い中でもはっきりと分かる。 「他人に見せるのって、初めて?」  こくり、と頷いた彼女に歩み寄ると、その手を胸元のジッパーに導く。 「無理。流石にこれは」 「ここまでして全然平気だったでしょ? 一度くらい、自由になってみようよ。私ね、ずっと思ってた。ヨウコって綺麗なだけじゃなくてスタイルも良くて、あんなダサいスーツよりももっと似合う服を着るべきだって」 「わたしはモデルじゃないわ」 「服を着る権利は何もファッションモデルだけが持ってる訳じゃない。私たちだってほんとはもっと自由でいられるのよ。けど誰もそれに気づかないだけ。そう思わない?」  彼女は俯いたまま、それでも考え込んでいた。本当に彼女が将来実現したい世界がやってきたなら、そこには色々な服を着て楽しむ日々だって同様に待っているはずだ。 「分かった。けど、少しだけ後ろ、向いてて」  覚悟を決めたヨウコに黙って頷くと、私は背を向けた。ジッパーが降りる音が部屋に響く。今彼女はどんな思いでいるのだろう。普通なら自宅以外では防護スーツを脱いだりしない。私たちの年代なら親にも素顔を見せたりしないだろう。それが当たり前になっていた。けれどそんな当たり前を受け入れてしまうことは不幸なことなんだって誰かが気づかなきゃいけない。少なくとも私はそれを疑う自分でいたい。 「もういい?」  返事はなかった。一瞬本当に脱いでくれているのだろうかと不安になったが「うん」という小さな声と共に背中に彼女の手が当てられ、私はゆっくりと振り返る。  そこには自分の左腕を抱える下着姿の彼女がいた。腰までのブラトップに下は本当に小さなショーツ一枚だ。  私は慌てて自分の制服を脱ぐと、それを彼女に着るように言った。 「え、けど」 「いいの。本当は新しいのをヨウコに着てもらいたかったんだけど、今はこれしかないから。嫌だったら、その」 「嫌じゃない」  彼女の手が制服の上着を脱ごうとしていた私の腕を掴む。その二重の瞳は私を真っ直ぐに捉えて離さなくて、その勢いに気圧されるままに脱いだ制服をヨウコに渡した。 「うん」  三分ほどして聞こえたのは「いいよ」ではなくただの頷きだった。 「あ……」  部屋の明かりが戻る。停電から復旧したのだ。  私の目の前には夢にまで見たセーラー服姿のヨウコが立っていた。少し目線を右にして俯き、ぎゅっと握った手を所在なくスカートの上に置いている。その仕草がまたとても似合っていて私は言葉を失ったまま彼女に抱きついた。 「イチミヤさん?」 「なんか、想像以上で」 「え?」 「私がずっと見たかったものが今目の前にあって、たぶん、人生で一番嬉しい」  頬を赤らめたヨウコはそのまま一枚の絵のようで、私は水槽の中のメダカが一匹お腹を向けて浮いているのも全然目に入らず、ただただ彼女だけを見つめていた。(了)
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