【最終話】花を召しませ

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【最終話】花を召しませ

「信じらんない」 園実は不貞腐れている。 「人が失恋したその日に付き合い始めるなんて」 園実は衣千花に抱き付いた。 「私のイッチーを、この神が作りたもうた傑作のような美女を·····ヘタレの兄がっ、くそっ汚れる!」 「つくづく思うけど、お前の俺に対する評価は酷すぎる」 「兄としては申し分ないけどねぇ」 園実は、飲み物を取りに行った桃琉の背中を見送ると、衣千花にこそっと囁いた。 「本当はね、そこいらの男より断然おすすめだよ。あんなに一途だとは予想してなかった」 園実はいたずらっぽい表情でニヤニヤ笑う。 「長いこと悶々苦しんでたからね、早いとこ安心させたげて」 衣千花は仰け反って、頬を染めた。 「な、何を」 「今日はパパとママの結婚記念日だからね、帰りは遅くなるよ」 園実はソファーから立ち上がる。 「私はバイト先の皆と飲み会。支店のアルバイトの子も来るって。新しい出会いがあるかも?」 浮き足だってリビングを出ていく園実を見ながら、衣千花は焦った。 そんな、何の心構えもしてない。 桃琉さんだって····· いつの間にか戻ってきた桃琉が衣千花の隣に腰掛けた。 「これ、母さんから。イッチーはイチヂクが好きだから出してあげてって」 テーブルの上に置かれた硝子の器に入っているのは、淡萌黄色の果実だ。 「もしかして白無花果?嬉しい、食べてみたかったんだ」 衣千花は手に取って観察する。 甘くて青い香りを吸い込み、そっと二つに割っていく。 「皮毎食べれるらしいよ」 白く縁取られた中に濃紅の大きな花が咲いている。 「イッチー、今夜はゆっくりしてけるよな?」 桃琉は衣千花の肩を抱き、ぎゅっと抱き寄せた。 「あー、夢みてぇ。俺、今、イッチーに触れてる」 「触れたことぐらいあったでしょ」 「堂々と恋人として堪能すんのとは違う」 髪に顔を埋める桃琉に照れながら、片方の無花果を囓る。 「私の名前ね、無花果にちなんで、亡くなったお父さんがつけてくれたんだって」 「そうなの?そんな字だっけ」 「ううん。花の無い果実って書くんだよ、それじゃあ名前としてはあんまりだって言うんで、千の花の衣になったんだけどね」 「花が咲かねえの」 「これが花なの」 衣千花は割った半分の実を桃琉に見せた。 「無花果は内側に咲くの。これは実じゃなくて花、花を食べるんだよ」 「へえ」 桃琉は衣千花の手から半分の無花果を摘まみ上げて口に入れた。 「ふ、ん、ああ。上手い」 「この間は地味な味だって言ってたのに」 「そんな事言ってたっけ?」 衣千花もまた無花果を囓った。 あっさりして食べやすいんだなぁ、とぼんやり考えていると、桃琉の視線を感じて隣に顔を向ける。 「何?桃琉さん」 「イッチー、俺、スゲエ、エロい気分になってるんだけど」 桃琉と言う人は本当にストレートだ。 「どうしたの、突然に」 「だって、イッチーを無花果と重ねて見ちゃうじゃん、そんな事聞いたら」 桃琉は頬を染め、目を伏せて唇の端に付いた果汁を親指で拭った。 衣千花はそれを見て、口の中にあったねっとりした果実をごくりと飲みこんだ。 「イッチーは咲いてるの?」 桃琉はボソッと訊いた。 「衣千花の花を食べて良い?」 桃琉が上目遣いで衣千花を伺う。 衣千花は頬を染めて俯いた。 「食べたい?桃琉さん。私の花」 「そ、そりゃあもう!」 「食べるからには覚悟してね」 桃琉が喉を鳴らす音が聞こえた。 「一生大切にする!」 衣千花は吹き出した。 「そこまでの覚悟じゃなくて良いんだけど·····まあ、嬉しいから良いか。こんな厄介で面倒臭い女だけど、良いの?」 桃琉は、衣千花を抱き寄せた。 「衣千花が良い。俺の長年積もらせた思いを舐めんなよ。·····本当は他の誰かに盗られるんのが恐いから焦ってるんだけど。早く俺のものって確信が欲しい。·····情けない?」 衣千花は桃琉の胸に顔を埋めながら思う。 素直に心を告げてくれるこの人といれば、自分も偽らずに生きていける気がする。 自分を好きになれる気がする。 今まで出来なかったことも出来る気がする。 そう、例えば····· 「大好き、桃琉さん」 「俺もーーーー!!」 きつく抱き締められた後、そっと離れた身体の代わりに熱い吐息が近付く。 唇が触れる寸前、 渾身の悩殺フレーズを囁いた。 「皮ごと全部残さず食べてね」 ふぐっ、と変な声を上げて、目前の恋人が鼻と口を覆う。 「イ、イッチーーーー!!」 衣千花は声を上げて笑った。 おしまい
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