橘 凜華は現代文化に苦悩する 第2話 「消耗品」

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大学の冬休み前のこと、私は大講堂で相変わらず講義を行っている。でも、私の講義をまともに聞いてくれているのはやはりごく僅かだった。大学が芸術関係ということもあり隠れて絵や漫画を描いたり、今流行りの映画やアニメなどについて語り合ったり、パソコンをいじってたりとみんなが自分にとってのいま大事なことをしている。私がよく黒板にチョークで書くため後ろを振り向くのをいいことに。 「ーつまり、社会構造からみて現代のクリエイターは内省することは構造上しようとはしなくなり… …」 (キーンコーンカーンコーン) 昼休みのチャイムが鳴り、生徒はみな立ち上がって出ていこうとした。 「今日の昼どうする?」 「近くに新しいカフェできたんだっていってみる?」 「うん、いくいく」 「ねぇ、そういえばさ、見た昨日のアニメの最終回」 「見た見た最高だったよね」 「特にラストシーンなんて感動しちゃった」 「よぉ、あれどうなったお前」 「採用された、来年の春から連載だって」 「やったな!お前、お前に負けないように俺も頑張んないとだな」 学生達の声が聞こえる。実はまだ講義はあと少しだけあった、でも学生にとってはそんなことよりも昼休みの方が優先なんでしょう。 「あっ、ちょっと待って」 誰も耳を傾けてくれない状況に私はため息をついた。少し気分が落ち込みながらも次の先生のために講義の片づけをし始めた。 そりゃ、私の講義なんて絵を描いたり曲作ったり、プログラミングしたりなんかするよりもよっぽどつまらない。この前、妹が言ってたようにわざわざ芸術の勉強しに来たのに難しい座学なんて聞きたい奴はいない。 それでも必修だから学科問わずみんなが受講しに来るのだけれど、現状はただ参加しただけで単位が取れる授業にしか思われていない。当然、来ないで誰かに出席登録を任せている生徒もいる。 片付けも終盤になると沢山いた大講堂も私一人だけになっていた。チョークの残りが少なくなってしまったので、後で事務員に報告しなければならないなと思った時、入り口から一人の男がやってきた。 「凜華先生、人気ないですねーあなたの授業」 サイアク、嫌味を含んで私のことを凜華先生と呼ぶのはアイツしかいない 「斎藤先生、どうしてここに?」 「次の授業ここなんですよ」 「まだ昼休み始まったばかりですが」 そう私が言うと彼は笑った。 「嫌だなー、凜華先生も知ってるじゃないですか僕が極度の人嫌いだって。同じ種族だと思うだけで嫌になりますよ。それとも人に興味がないって言った方が正しいかな。だからこうして誰もいない次の授業の場所で先に待機してるんじゃないですか」 コイツは斎藤先生、経済とかマーケティングとかの授業を担当している。言ってしまえばいかにして商品を売れるようにするかを教えている。授業はいつも定員いっぱいになるくらい大学で一番人気のある先生だ。 「また嫌味かなんかを言いに来たんですか」 「いやいや、違いますよ。にしても生徒は情がないですね。ただ、必修ではない私の授業がいつもここで、人気のない凜華先生の授業もここで、同じ人数相手に授業というのは少し面白いですけど。」 ムカつく、私をおちょくって何になるの。そのくせして本当は大学の授業の人気とかどうでもよくて、お金を生み出せそうなやつを探してるだけっていうのが尚更腹が立つ。 「あっそう、じゃ私はこれで」 「待ってくださいよ橘先生、僕もあなたの今日の授業聞きましたよ」 「それはどうも」 「いやーたまたま近くを通りかかったら聞こえてきたんですよあなたの声が、そしたら面白いので数時間は聞いちゃいましたよ」 絶対に嘘だ、大講堂は大学施設から見ても入り口から離れていて周りには特に何もない。それに、コイツは普段忙しいから授業ぎりぎりになってくることも多い。また、私のことを橘先生って呼ぶときは私に何かしらの目的がある時だけだ。 「ほら、あれ、なんでしたっけ?あの~なんとか理論」 「文化構造理論と社会構造理論」 「そうそう、それそれ!なかなよかったですよ」 「そうですか、ありがとうございます」 私は不愛想な返しをするがそんなことは意に介さず彼は続けた。 「あなたが語る理論というのは簡単に言ってしまえばクリエイターが一発屋やいつか消える一時的なカルト宗教にならないように、社会や文化からしっかり考えてエゴイズムに落ちることなく、長く愛される作品の作り方を説明していますよね。これはへーゲルの弁証法からきているのでしょうか?自分のテーゼばかりに傾くのではなくアンチテーゼを取り入れながらジンテーゼにしていく、いわばクリエイターのコアとなる部分に関しての授業ですよね」 当たってる、正直コイツの方が私よりも読解力や理解力が高いのが許せない すると続けざまに斎藤先生が話し始めた。 「だが、人にそんなことが分かると思うか?」 少し寒気がした。この男はたまに怖い発言をする。まるで人をただの生き物の一つであることが前提のように話すときがある。普段の授業では見せないがこうなった時の斎藤先生は本心を話すようになる。 斎藤先生が語り始めた 「もちろん、橘先生の努力が足らない部分もある、だが、そもそも長いこと日本人の約三分の一は日本語ができない状態だ。正確に言えば教科書もろくに読めないやつが三人に一人はいる 「もう一つレベルが上がって設問と本の概要を比較する問題では四分の三はできなかった。まぁ、これでも世界ではまだいい方だがな 「人類は庶民に無駄に知識、ましてや文字を教えるということを貴族階級の人たちは嫌がっていた。ところが、時代の流れでそうせざるを得なくなった歴史がある。そのおかげで人々の経済活動はより活発になったわけだ。しかし、皮肉なことに結局使いこなせる者は少なかったということさ。貴族たちも庶民を過大評価してたのかもな。逆に乱用されても困ると思ったかもしれないがな 「SNSを見てみればよくわかる。どいつもこいつもバカみたいなことしか言わない。何かに対する意見を言おうものならそれが批判的内容ならまだしも誹謗中傷だったり馬鹿なコメントだったりしてる。君が言うところのこうなってほしくないと思うようなクリエイターのところほどこういうのが多く集まっていやしないか。類は友を呼ぶというのが正しいのであれば彼らクリエイターの彼と彼のもとに集まる人の民度が低い証拠になるのさ 「橘先生も分かってるんだろう?いや、分からない訳がない。なぜならあの高校の国語の授業でいい成績をとれたのは君と俺だけだったからな」 実は、分かっている。あの時あれほどの優越感があったことはない。なぜみんなはこれほどまでに日本語に対して理解が足りないのだろうかと当時は思っていた。でも、斎藤を見ていると上には上がいるという絶対的な壁も感じてもいた。今一番消し去りたい過去は何ですかと言われれば間違いなくここだろう。でも、認めたくはなかった。話せば分かってくれると未だに思いたいのかも知れない。 斎藤先生はまだ続けた 「ここで考えても見てほしいクリエイターの多くは碌にコミュニケーションが取れるやつは少ない。取れたとしても君のような考えを持てるかどうかも危うい。それは彼らの多くはエゴイストや俗にいうメンヘラだからな。なぜか自己肯定が高く、承認欲求も凄まじい。だからこそクリエイティブなんだろうがそのままではただただ利用される側でしかないことには一向に気が付かない。それこそ君の授業で大事になってくるポイントだ。しかし彼らは一生お金に困らないくらい、まぁ俺からしてみればはした金だが、貰いそこそこの承認欲求をみたしてやれさえすればそれで満足するようないい駒。それが一部の人だけによるカルト宗教のようなもので教祖であるクリエイターらがいかに信者たちによって盲目的にさせられていようが、こっちには関係ない。せいぜい金を稼いでくれるまでは神輿として担いでやるさ。 「以上で僕の話は終わるけど橘先生は何か意見はありますか?」 唐突に私にターンが回ってきた。斎藤先生にさっきまでの勢いがなくなりここから彼の交渉が始まる。 「ない、ないけど...…] 「けど?」 「これじゃあ、まるで消耗品扱いじゃない」 「確かにそう聞こえますね。だけどよく考えてみてください、内容は可哀そうに見えますが結果としてはみんなWin-Winになってるんですよ。凜華先生のような作品至上主義者からしてみれば耐えられないかもしれませんが、こうした作品っていうのは出来がよくて80点くらいが限度ってところですしね」 正しくコイツの言う通りだ、むしろさっきまでの私が行っていた授業内容そのものをもっとわかりやすく説明したようなものだ。さてはコイツ、本当は私の授業を生徒がだれも聞いてないという実情まで知ってるな。 その上で僕は聞いてますよというアピールをして懐に入ってから交渉しようとする。交渉術のセオリーみたいなことして。 コイツ・・・、本当に厄介なやつ 「何が言いたいんですか」 「ここまで話してなんですが実は現場はもっとひどい有様なんですよ。凜華先生がここで授業してるよりもずっとね。見てみませんか?現場を。凜華先生の研究のためにも役に立つと思いますよ」 「目的は何?それになぜあなたは現場なんかに行けるのよ」 「いろんな株主っていうのはありますが、一番はこの大学でマーケティングとかを教えているからですかね。僕、結構いろんなところの会議で意見とか言わせてもらってるんですよ。目的は・・・そうだなぁ、凜華先生の妹と合わせ欲しいんですよ。」 その手には乗らない。 そんな見え透いた交渉術で迫ってくるようなことをしたって私は騙されない。”妹を僕に会わせて”だって?コイツ、私の妹がファッションモデルと知っていて妹を消耗品にする気でしょうけどそうはさせない。 「私が斎藤先生に妹を合わせると思う?そんなことするわけないじゃないどうせさっき言ったような消耗品扱いする気なんでしょ」 そういうと斎藤先生はまた笑った。その笑い声はこの人のいない大講堂に良く響いた。 「面白いこと言うな橘先生は、消耗品になるのは彼ら自身の問題ですよ。少なくともそう見えるようにします。ただ、盲目的になっている彼らにはそのことすら知りようがないですがね。僕たち側の人間はそれこそ余程のことがなければ介入なんてしません。介入したケースももちろん多いですが失敗すればこっちにも火が飛びますから。私がしているのはあくまで見えないようにクリエイターもそれを消費しようとする一般人もうまく利用するだけですよ。問題が起こればすぐにトカゲのように切り落とせもします」 「あくまで本人たちの問題だと言いたいの?違うでしょ、あなたたちがそういう社会を形成し文化に商業主義を持ってきたのがそもそもの問題でしょでしょ」 「さすがは凜華先生よく理解されてる。ですがあなたの理論及びその意見もエゴイズムであるということを自覚されてはどうですか」 「どういうこと?」 「確かにあなたの意見は正しいとは思います。ただ、それは作品至上主義的に考えればの話です。あなたのその考えではクリエイターの人の多くは食べてはいけないでしょう。もともとを辿ればそちらの状態の方が自然なのですが今の大量消費社会ではそれは通用しにくいです。あなたは彼らをゴッホのような目に合わせたいんですか?そうではないでしょう」 そう言われればそのように思ってしまう。私もクリエイターのためと言いながら結局は自分の主義主張を押し通そうとしているのかも知れない。 でも、商業主義に堕ちて彼らが引き出せたであろう才能を引き出せないまま終わっていくのも可愛そうに思える。 そのどちらかを選択させるのかという狭間で私は悩んでいるのだろう。 「橘先生、あなたと僕はよく似てる。僕が表なら君は裏だ、いや反対かもしれないがな。その境界がなくなった時あなたもこちら側になる。よくこういうところでは光あるところ影ありと言いますが。逆に光がなくても影は決して消えないんですよ。光がなければ真っ暗になるんです」 「だとしても、あなたに妹の人生を明け渡す気はない」 「いいですよそれで、いずれあなたもこっち側に来るでしょうから」 なんて嫌な奴なんだ。否定したくてもできないようにするところが隙がなくてもっと嫌いだ。どうにかしてやりたい気分だけど私一人ではどうにもできない。たとえコイツ一人をどうにかしたとしてもコイツのようなポジションにいる奴なんてめちゃくちゃいるから無駄なことだってわかる。 それにしても、斎藤先生。私にそれができないし例えしたしても意味ないと分からせておいてから話す。覆らない事実になってから分かっても対処なんてできないような巧妙なやり口で交渉してくる。 ここで、入り口から一人の女の子がやってきた。 「橘先生」 話しかけてきたのは私の学生の一人だ。 「どうしたの心春ちゃん」 斎藤先生も不意を突かれ少し驚いた様子で振り返った。どうやらさっきまでの会話は私以外には聞いて欲しくはないみたいだ。 「秋風さんか、もしかして聞こえてしまったかな?」 「何のことですか」 「そうか、それならまあいい。では凜華先生ご検討のほどよろしくお願いしますね。」 斎藤先生は少し気まずそうにしてその場を離れていった。 正直私もほっとした。この子には聞いてほしくはなかった内容だった。 「橘先生、冬休みの課題のことについてなのですが個人的に取材したい人を題材にしたレポートでもいいですか?」 「それで大丈夫ですよ、ちゃんと研究課題に沿っているなら」 「わかりました、ありがとうございます」 彼女はそういうと嬉しそうにその場を去っていった。 私の提唱している理論はエゴイズムなのだろうかそれとも真にクリエイターのためのものになっているのだろうか。この時の私にはまだわからなかった。 次からの授業はパワーポイントにしよう。
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