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街の中心にそびえ立つ30階建てのコンベンションセンター。その12階に、ももの職場である『モノ・アートミュージアム』がある。
このビルの下層階には市の施設や音楽ホールが入っており、上層階にはホテルやレストラン、結婚式場などがある。
特に最上階のスカイチャペルからの景色は最高らしく、いつかはそこで結婚式を挙げたいというのがももの夢だ。
とはいえ相手がいないので、その夢すら夢のまた夢。
当分はこの男の相手しなきゃだしなぁ…。
ももは、自分の後ろをのそのそとついてくる橘を見た。
何でこんなに猫背なの?
「ねぇ、もっと姿勢良く歩けない?」
下を向いていた橘が、顔を上げた。
「お客様にも見られる仕事だよ。もっとしゃんとして。」
ももは、バンっと力いっぱい橘の背中を叩いた。
「す、すみません…。」
橘がゲホッと咳をする。
「長瀬さーん、それパワハラ。」
受付カウンターから2人の様子を見ていた相良圭介が、笑いながら体を乗り出していた。
相良は、ももの一年後輩の社員だ。くりくり二重の可愛らしい仔猫系男子。こうやっていつも、もものことをイジってくる。オシャレだし顔も悪くないのだが、恋愛対象としては見ることができず。言うならば、弟のような存在。
しかしまぁ、告白されたら考えてあげなくもないけど。と、上から目線で思っている。
「やめてよ、相良くん。」
ももが眉をひそめる。
「橘くん、気をつけてね。何かあったら僕に言って。」
相良が胸の前で、拳を握った。
ふふっと橘が低い声で笑ったので、また鳥肌が立つ。
…キモ。
その時エレベーターのドアが開いて、上品そうな老夫婦が入ってきた。
「いらっしゃいませ。」
「いらっしゃいませ。こんにちは。」
ももと相良が、前に手を組んでお辞儀をした。橘は…というと、体を背けて下を向いている。
おーい。マジか。
ももは苛立った。
「今日から新しい展示が始まったんでしょう?楽しみにして来たんですよ。」
綺麗なグレーヘアの婦人が笑顔で言う。
「はい。国内外の若手写真家の作品の展示です。視点が新しくて、とてもおもしろいものばかりですよ。」
ももの声が、ワントーン高くなった。
「ゆっくり見させてもらいますね。ね、あなた。」
婦人に話しかけられ、隣にいた老紳士も笑顔で頷く。
「では、こちらでチケットを。」
相良に促され、老夫婦は受付カウンターへ向かった。
「ごゆっくり。」
と笑顔で声をかけ、2人が展示スペースに入ったことを確認すると、ももは橘の腕を小突いた。
「な…何、ですか…。」
猫背の橘の背中が、さらに丸くなる。
「お客様にはちゃんとご挨拶しようね。」
ももは、橘を見上げた。メガネの奥の目がうろたえている。
「一応、接客業だからね。私たちの対応が、この美術館のイメージにつながるの。」
本当なら、挨拶もろくにできないのかと強く言いたいところだが、パワハラだ何だと騒がれても困る。
「それは…さっきのお客、様だから…ですか?」
橘の目がギラリと光った気がした。それにしても的外れなことを言っている。
「いや、さっきのご夫婦だろうと家族連れだろうと学生だろうと。お客様には変わらないでしょ。」
橘は納得したのかしていないのか、下を向いて黙ってしまった。
「来てくれるお客様がいないと、どんなに立派な展示をしたところで意味がないのよ。美術館といえど、お客様とのコミュニケーションも大事なの。」
橘は何も反応しない。
あーあ、これだから困る。挨拶なんて社会人として基本中の基本なのに。
ももは、はぁっと小さくため息をついた。
「なんで館長は、あんな子採用したんだろ。」
昼休憩の時間。ももは、藤堂と一緒に事務所で昼食を食べていた。
橘と倉嶋は館長の吉田に連れられて、ビルの案内がてら上の階のレストランへ行っている。
「橘くんのこと?」
藤堂がコンビニで買ってきたサンドイッチにかぶりついた。
「学生時代、芸術関係のすごい賞獲ったことがあるとか。」
ももは首を傾げた。
「橘…なんて名前、ここ数年見てないけど。」
「だよね。ももは、そこんとこ詳しいもんね。」
うーん、と藤堂がうなる。
「お客様に挨拶すらできないんだよ。この先が思いやられるわ。」
弁当の卵焼きをつつきながら、ももはため息をついた。
「でもさ、頭数としてはさ、いてくれると助かるじゃん。」
確かに。去年の新入社員はすぐに辞めてしまったし、人手不足なのは否定できない。橘のことも、根気強く教育していくしかないのだろう。それはわかっているのだが。
「ねぇねぇ、それよりさ。明日の2人の歓迎会、もも来るでしょ。」
藤堂が、体を寄せてきた。
「うん?」
ももは、卵焼きを口に入れながら答える。
「館長が、青山さんのバーを予約したみたいで。」
卵焼きを咀嚼する口の動きが止まった。
「あぁ…。」
「他の場所にしましょうって言いたかったんだけど、あの店がダメっていう理由を説明できなくて。」
藤堂が申し訳なさそうな顔をする。
「別に…。」
ももは、卵焼きを無理やり飲み込んだ。
「大丈夫だよ。もう半年前のことだし、意識するのも変じゃない?」
そう言って笑う。
「…そっか。それならいいけど。」
藤堂のホッとしたような顔を見て、何だか辛くなる。
ごめんね、朱里。
本当は、全然平気じゃない。
平気じゃないけど、平気なふりをするしかない。でもそんなこと、誰にも言えないじゃない。
ももは、コロコロと転がる弁当箱の中のウインナーに、思い切りフォークを刺した。
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