始まりは突然に

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テーブルに向かい合って座り、ももと橘だと名乗るその男は朝食を食べ始めた。正確には食べているのは男の方だけで、ももは男の顔を見ながらコーヒーをすすっている。 本当に綺麗な顔。鼻筋も通っていて全てのパーツの配置も申し分ない。まるで絵画の世界から飛び出してきたような…。しかし、その白くて透き通るような左頬には、小さな赤い傷が。 …この人、本当に橘くんなの? 「やっぱりまだ具合悪いですか?」 ももの視線に気づいた男が、心配そうな顔をする。 目の前にはこんがり焼けたトーストとベーコンとサラダが乗ったプレートが置かれているが、如何せん食べる気になれない。 「…あ、いや。…うん。」 「無理しないで。僕が勝手に作っただけですから。」 そう言って微笑む。 …きゅん。 いやいや、何きゅんとしてんの、私。 「あなたは本当に橘くん?」と聞きたい。しかし、聞くのが怖い。したがって、もう一つの疑問を確認することにした。 「あの…私、昨日の夜のこと。…その、何も覚えてなくて。」 「はい。」 「下着…を、つけてないってことはつまり、そういう…?」 その後のワードを口にするのがためらわれて、ももは男を見つめた。 男は何を聞かれているのかわからなかったのか一瞬キョトンとしたが、すぐに、あぁという顔をした。 「しましたよ。セックス。」 思わずコーヒーを吹き出しそうになる。急激に顔が熱くなり、目が泳ぐ。何と言葉を返したらいい。 そんなももを見て、男はクスクスと笑った。 「ももさん、ホントかわいいなぁ。」 その笑顔にまた心臓が速くなる。 「昨日ももさん、酔い潰れて寝ちゃって。方向が一緒だったので僕がタクシーで連れて帰ることになったんです。」 男はフォークをベーコンに刺した。その姿でさえ、絵になる。 「でも住所聞いても、ももさん答えてくれなくて。仕方ないからウチに。」 そう言いながら、パクっとベーコンを口に入れた。その一連の動作が、まるで映画のワンシーンのようで見惚れてしまう。 「で、ウチに入るなりももさん、トイレで吐いちゃって。その時、服が少し汚れて。」 …あぁ。そういうこと。 恥ずかしい。酔い潰れた上に、男の家で吐くなんて。しかも全く覚えてないなんて。色気のかけらもないじゃない。 「…ごめん、なさい。」 ももはうなだれた。 「全然。気にしないでください。」 カップの中で、揺れるコーヒーを見つめる。 「悪いとは思ったんですけど、汚れた服のままだと気持ち悪いかなと思って。それで脱がせました。そしたら。」 男が言葉を切ったので、ももは顔を上げた。 「…え?」 男はコーヒーを一口飲んで、続けた。 「そしたら、ももさんの方からキスしてきて。」 「…。」 「それで、そのままそういうことに。」 …そういうことに?って…。 「あの…そういう場合、突き放してくれてもよかったんじゃ。」 こっちは酔っ払ってるわけだし。それでヤッちゃうなんて、ちょっと普通じゃない。 「あーでも、僕も男なんで。そんなことされたら我慢できないじゃないですか。」 平然とそう言い放ちニコッと笑うと、男は立ち上がった。 「車で家まで送ります。その格好じゃ外歩けないですよね。」 「えっ?」 車? この人が本当に橘くんだとして…車なんて持ってたっけ? ももの表情から察したのか、男はまたクスッと笑った。 「コンベンションセンターへはバスの方が便がいいので、車は使ってないんです。あそこ駐車場遠いし。」 「…そうなんだ。」 何だか情報量が多すぎて、頭の中の処理が追いつかない。 「あ、それとも…。」 男がテーブルに身を乗り出して、ももに顔を近づけた。 「もっとゆっくりしていきますか?今日は午後からだし、一緒に出勤するとか?」 「…え。」 男の視線が、ももの大きく開いたシャツの胸元に落ちた。 「でもその場合、僕、また我慢できなくなっちゃうと思いますけど。」 ふっと笑った男の目の奥がギラリと光って、ももは動けなくなってしまう。 「あ…。お、送って…ください。」 なぜか敬語になってしまったその一言を発することだけで、精一杯だった。
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