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始まりは突然に
昔から私はツイてない。
特に男が絡むと。
学生時代、好きな男子と同じクラスになれたことなど一度もないし、急に呼び出されたかと思えば、私の友達のことが好きだから伝えてほしいと言われる。バレンタインに渡そうと必死に作ったチョコレートは、当日の朝、家族に食べられた。
誕生日プレゼントを家まで届けに行ったのに「いらない」と受けとってもらえず、卒業式の第2ボタン争奪戦では他の女子にもみくちゃにされて足を捻挫した。
好きな子と同じ高校に行きたくて必死に勉強したのに男のほうが受験に失敗し、高校3年間は告白しても振られ続けた。
大学生になってからようやくできた彼氏は親友に寝取られ、次につきあった男はすぐに海外留学が決まり別れた。
社会人になり、出会いを求めて登録したアプリでいい感じになった男は金だけ貢がされた詐欺師。
そして半年前、一年間つきあった彼氏とは浮気が発覚して別れた。
私は、まともに男とつきあえたことがない。
「大丈夫?」
「きっと次はうまくいくよ」
と、最初のうちは心配して励ましてくれていた友人たちも、今となっては私の過去をつまみに酒を飲む始末。
だから毎年、新入社員が入ってくる…かもしれない4月には期待している。去年は女の子が一人だけだったし、3ヶ月で辞めてしまった。今年こそ、お願い、神様。
イケメン希望。
まぁそうでなくてもそれなりにカッコよければ。それか逆に男友達の多い女の子とか。合コンとか誘ってほしいし。他力本願。それこそ本望じゃないの。
長瀬もも。27歳。美術館職員。
仕事には満足している。大変だがやり甲斐がある仕事で、職場の人間関係も悪くない。どうやら男に恵まれない分、仕事と仲間には恵まれたようだ。
しかしだからといって、男を諦めるつもりはない。
そんなももは、今朝はいつもより早く起きてゆっくりフェイスパックなどを施した。おかげでファンデーションのノリはすこぶる良い。捨て色となっていたラメのアイシャドウをまぶたの中心にのせて、目を大きく艶っぽく見せる。リップも久しぶりに春らしいピンクを選んだ。
さらには白いブラウスとスリット入りのタイトスカート。そして、ヒール高が7cmもあるパンプスを履いた。
正直仕事をする上では、スカートも7cmのヒールも邪魔ではあるが、今日だけは特別だ。
まるで韓国ドラマに出てくる主人公のような出で立ちで颯爽と登場したももに、職場の仲間たちは目を丸くした。そして「あぁ、なるほど」と失笑する。
ももは、ふんと鼻を鳴らした。何も恥ずかしいことなどない。やれることをやらずに後悔するのは嫌だ。何事も一生懸命取り組むことで、運を味方につけることができると信じている。
そう。
信じていた。
…信じていたのに。
私の人生は所詮、酒のつまみなのだろうか。
ももは、目の前に立った男に得意の愛想笑いすら作る気になれなかった。
「た、橘…。り、りょ、亮太…です。」
その男は聞き取れないほど小さな声で、言葉に詰まりながら自己紹介をした。
橘亮太。
名前はまぁ悪くない。それなのに。
しわしわのスーツに、無造作とは言い難い寝癖でハネた髪の毛。長い前髪と黒縁のメガネの奥から覗く目は、死んだ魚のよう。
唯一の長所は高身長というところだが、ひどい猫背のためにその身長すら生かせていない。
しかも肩から斜めに掛けているカバンには…何のキャラクター?
割と大きめのキーホルダーが揺れている。
人は見た目が9割というけれど、ももはそれを信じていない。どんなに見た目が良くても性格悪な人間など腐るほどいる。また、その逆も然り。
そういう輩をたくさん知っている。
さらには個人の趣味嗜好も自由だと思っているし、否定するつもりもない。
その考えのもと、これまで生きてきた。
しかし…。
生理的に受けつけない、というパターンはあるようで。
ダメだ。
私、この子受けつけないかも…。
ももは自分の信念に、初めてと言っても過言ではないくらいの危機感を覚えた。
この日、新入社員はもう一人いて、その子の周りは打って変わって雰囲気が明るい。
倉嶋優花。
今どき女子の22歳。
前髪なんて、アイロンでしっかりセットしちゃってる系。きっと仕上げのスプレーは、無香料のナチュラルキープ。
男ウケ良さそう。
だって名前からして、モテそうだもの。
倉嶋の教育係は、ももの同期である藤堂朱里が担当することになった。
藤堂がももの視線に気づき、「ご愁傷さま」とでも言わんばかりに顔の前で手を合わせる。
ももは藤堂を睨みつけた。
「…あの…。」
後ろからかすれた声が聞こえてきて、慌てて笑顔を取り繕う。
「うん?どうした?」
ももが振り向くと、思いのほか近い距離に橘が立っていた。自然と後ろに一歩下がる。
「…あ、あの…、名前…。」
「え?」
ももは、作り笑顔のまま聞き返した。声が小さすぎて本当に聞こえないんだけど。
「な、名前…。」
あぁ、名前ね。
「長瀬です。よろしくね。」
しかしせっかく名乗ったというのに、橘はメガネの奥からじっと見つめてくる。
「し、下の…名前は…。」
そこ必要!?と突っ込みたくなる気持ちを抑える。
「ももです。長瀬もも。」
すると、橘の口元が緩んだ。
「…もも…。ながせ、もも…。」
ニヤリと笑い、ふふっという低い声がもれた。
「も、も…ももさん…。か、かわいい…名前、ですね。」
その言葉に、ももはあ然とした。
全身に鳥肌が立ち、そのザワザワという音が聞こえるのではないかと思うほどだ。
男から、名前がかわいいと言われた。
今まで生きてきて、「おばあちゃんみたい」と言われたことはあったが、「かわいい」というワードには無縁だった。
その記念すべき初めての瞬間を作り出した男が、なぜか目の前にいる、The陰キャ。
「ありがとう」という簡単な一言すら発することをためらわれ、ももは聞こえないふりをして自分のデスクに戻った。
仕事しよう、仕事。うん、仕事。
呪文のように言い聞かせる。
結果、翌日からももの服装がいつもどおりのパンツスタイルに戻ったことは言うまでもない。
ちなみに足元の方は、女性らしさを感じさせつつも作業に差し支えない、ヒール高が2.5cmのパンプスだということも付け加えておく。
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