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 町外れの古い森小屋は、かつて行商人や旅人が休憩所として利用していた簡易施設だ。街道が整備された今、ここを利用する者はほとんどいない。たまに近くの保安官(シェリフ)連中が見回りと称してサボるために立ち寄る程度。おかげで暖をとるための薪や寝袋といった備品だけは充実していた。 「ずっとはいられねぇが、とりあえず隠れるには充分だろ」  暖炉に薪をくべながら彼——ランスが言う。慣れた手つきであっという間に火をおこし、雨に濡れた自身の外套を椅子に引っかけた。  便利屋を生業としている彼は、報酬次第でなんでも引き受けるらしい。品物の調達、情報収集、傭兵——。極端に持ち物が少ないのは、ひとところにとどまらない生活を送っているからだろう。目立つ持ち物といえば、腰に()びた長剣くらい。年季の入った、手入れの行き届いた、かなりの上物だ。 「ほら、お前もそれ脱いで早く乾かせ」  部屋の隅でリゼが縮こまっていると、ランスが顎をしゃくって暖炉を指した。  ここへ来るまでに見事濡れ鼠となってしまったふたり。今も外はしのつく雨が降りつづいている。  空はすっかり光をうしなって、昼間にもかかわらず薄暗い。気温もぐんぐん下がってきた。この悪天候、どうやらしつこそうだ。 「ほら早く。風邪引くぞ」  なかなか行動に移そうとしないリゼに痺れを切らしたように、ランスは少々語気を強めた。とはいえ、怒っているふうではない。呆れているふう、でもない。そのことは、彼の落ち着いた表情からうかがえた。  彼の言うとおり、脱いだほうが早く乾くだろう。暖炉のそばに持っていけばもっと早く乾くだろう。それはわかっている。わかっているが、リゼは脱ぎたくなかった。脱げない理由が、あった。 「リゼ」  肩先が、ぴくっと震える。  ランスに名前を呼ばれた。ここへ来るまでに——担がれているあいだに——教えあった名前。  それほどまで真剣に呼んでくれるのかと思った。それほどまで自分の体調を案じてくれるのかと。  初対面で厄介ごとに巻き込んだうえに気まで遣わせて自分はいったい何をしているのか。母が知ったらまちがいなく怒る案件だ。とんでもなく。  是か、非か。  しかし、この逡巡は、彼の口から発せられた思いもよらない言葉によって吹き飛ばされた。 「隠さなくても、背中にあるもんは知ってる。だから早くこっち来てあったまれ」 「!」  リゼは、目を見開いた。呼吸を忘れるほどの衝撃だった。  どうして知ってるの?  こう尋ねる前に、彼のほうから話してくれた。右手の腹をこちらに向け、ひらひらと振ってみせながら。 「ここ。火傷。完璧に治ってる。……お前が治してくれたんだろ? 有翼人種(ウィングド)特有の〝治癒力〟で」 「あ……」  しまった。  やってしまった。  いくら自責の念に駆られたとはいえ、軽率だった。外で力は使うなと、あれほど母から口酸っぱく言われていたのに。  あの瞬間にランスは気づいてしまったのだ。リゼの不思議な能力のことも、リゼが人間ではないことも。  有翼人種(ウィングド)。  背中に翼を持ち、大空を舞う、人間とは似て非なる種族。そのほとんどが治癒力を有し、壊れた細胞を瞬時に修復・再生することができる。  人間と同じく民族ごとに集団を形成して暮らしているが、その数は減少の一途を辿っており、いまや稀少な存在だ。おそらく、世界の人口の1割にも満たないだろう。  おずおずと、暖炉へ近づく。  もはや隠している意味もないと、リゼは濡れて重くなったローブを脱いだ。  ——今度は、ランスが衝撃を受ける番だった。
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