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答えが出ない以上放っておこうと思えども、こうしてほのめかされれば思考回路が回り出す。それを読んだように、クレイセスの小さな失笑が聞こえた。目を覆う手はそのままに、低い声が告げる。
「サクラ。この場合使って欲しいのは、頭ではなく、心です。……私が傍にいると落ち着かないようなので、今夜は失礼します」
クレイセスの手が離れ、目元に外気が触れる。気配が遠ざかり、扉の閉まる音が聞こえてから、サクラは一度目を開けて部屋の暗がりを見つめると、ぎゅっと身を縮めて、再び目を閉じた。
クレイセスとこんな、何気ない会話をするのは久しぶりだ。サクラがこの世界からいずれ離れる理由を話してから、彼は多分、怒っていた。今だってずっと「俺」ではなく「私」だった一人称に、若干の距離というか、消化できない感情がそこにあることがうかがえる。
これはクレイセスに限ったことでもなく、変わらないのはサンドラとバララト、エラルくらいで、あとはなんとなく……よそよそしい。
(なんて言えば)
(良かったのかな……)
あのとき、全員連れて行くと言ってしまえば良かったのだろうかと、サクラはここ数日煩悶した。しかしやっぱり、彼らの可能性や人生を鎖で繋いでしまうようなことはしたくない、という気持ちだけが、譲れずに残るのだ。「セルシア」の言葉は、「主君」の言葉は、彼らにとって何よりも重い。そう、理解しているからこそ。
とりあえず、クレイセスがなんでもない会話に応じてくれたことには、安堵した。
少し遠ざかった雷に、戻って来た静寂の中では、小台の籠に眠る精霊たちの寝息も聞こえる。そのリズムに急激な眠気を誘われつつ、ベッドの下にいるイリューザーに手を伸ばせば、鬣がふわりと手を温めてくれるのに、サクラはいつの間にか、眠りについたのだった。
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