Ⅹ 強められる警戒

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 彼がその手を取ると、大きくなっていた姿はサクラの胸元にいたときと同じに戻り、それと同時に、天を焦がすかに見えた炎は、一瞬で消えた。残ったのは真っ黒に焦げた、屋敷の外形。それも、青嵐が外周から円を描くように吹くと、灰となって崩れ落ちた。 「ロゼ。雨をお願い」  サクラの声に、ロゼが胸元から飛び立つ。高く飛び立ったロゼの姿が見えなくなってから、あたたかな雨が降り始めた。サクラは屋敷の跡に近づくと、声を放つ。  それは、クレイセスが初めて聞く歌。メルティアスの言葉ではなく、この世界の言葉で紡がれる歌詞に、サンドラが言った。 「献上されてきた楽曲なんだ。サクラ様の歌に触発されて、この世界の楽士が作った。贈られてきた楽譜を見て気に入って、練習されていた」 「そうか。伸びやかで、サクラも歌いやすそうだ」  この世界の曲というよりは、サクラの歌う曲に近い。歌詞も前を向く強さを表現したもので、サクラもそれに相応(ふさわ)しい、芯の通った歌い方をしている。  そしてサクラが歌えば、光響が起こる。  雨が虹色に輝き、周囲の木々も、足許の草も、周囲の景色を覆う雪さえも。己の持つ音を響かせながらサクラとともに歌い、やわらかくもまばゆい、光を放つ。館の灰に覆われていた地表にも緑が息吹き、新しい命を輝かせた。  黒く焦げた屋敷跡は、一息に、新しい緑に覆われる。 (サクラが見せる世界は) (本当に、美しい──……)  多くの者が、このときばかりは立場も責務も忘れて、この光景に吞まれた。クレイセスも、サクラの姿から目を離さずに、目の前の光景を甘く受け止める。  やがてサクラが歌い終え、世界が光響の余韻に包まれる中、サクラが振り向いた。 「もう大丈夫そうです。戻りましょう」  サクラの声に頷いてクレイセスが手を差し出せば、黒い瞳がまっすぐに自分を見て、当たり前のように小さな手が重ねられる。たったそれだけのことが、不様(ぶざま)に波立つ気持ちを鎮めた。  今はまだ、この距離で。  己を抑制することの難しさを今更のように感じながら、クレイセスは王宮に戻るべく、号令をかけた。  
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