序 雨と風の夜に

8/11

60人が本棚に入れています
本棚に追加
/273ページ
 そして、目覚めて大きく変わっていたもうひとつを思い出し、サクラはふと目を開けた。疲れた表情のクレイセスと至近に目が合い、「お気に掛かることでも?」と低い声が静かに問うのに、「いえ」と慌てて目を閉じる。暗がりでもはっきりとわかる群青の瞳だけが、残像のように瞼裏(まなうら)に残った。  暫定的ではあるが、ユリゼラの侍女として、ハーラルが出仕するようになっていた。ハーラルとは、エヴァンジェリン公爵令嬢、クレイセスの元婚約者だったという、あの彼女である。  目覚めた日の夕方、彼女はユリゼラに伴われて挨拶に来てくれた。実際に会ってみて、サクラは圧倒されたのだ。ユリゼラと並んでいても、遜色のない美しさ。身長はこの世界の女性らしく175㎝ほど。緩やかに波打つ銀髪をふんわりと結い上げた彼女は、やわらかく微笑む人だった。世情が不穏になってからはエヴァンジェリン公爵領に留まり、被災により流れてきた者たちの世話などをしていたという。おっとりとした外見ながら話す内容は的確で、これまでの(うたげ)で距離を置いてきた令嬢たちとは、明らかに違っていた。  ハーラルが王宮に来た名目は、「めずらしい薔薇の栽培に成功したので献上に」、ということだったが、彼女はくすっと笑い、内緒事のように小声で教えてくれた。「というのは表向きで。父の意向で、多くの貴族と見合いをするよう言いつかっておりますの」と。そこにユリゼラの懐妊が公表され、「王妃様がお健やかであるよう、三年はお仕えしたく存じます」と、侍女として働きたいと申し出たという。ユリゼラも彼女といることは楽しいようで、即座に了承された。本人曰く、「これでしばらくは、実りのない殿方と会わずに済むので、ほっとしているんです」だった。  ハーラルは、サクラに対してもとても丁寧に接してくれる人で、好感が持てた。なんでもセルシア選定の際の光が、死にかけていたエヴァンジェリン公爵領の花々を(よみがえ)らせたとかで、大層感謝もされた。
/273ページ

最初のコメントを投稿しよう!

60人が本棚に入れています
本棚に追加