キュン死に一生

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「こっち来て座って」  なんだかよくわからないけど、言われたとおり怜音の隣に座る。小瓶の中身はネイルだった。怜音は蓋を開けると、私の手をとって丁寧に塗り始めた。ネイルなんて初めて。なんか薬品みたいな変な匂いがして私は顔をしかめた。 「これねー、ここに来る前に買ったの。夏の新色。可愛いでしょ。紹介動画見て、絶対買おうって決めてたんだー」 「え、そんなのダメじゃん」 「何が? オレンジ色嫌い?」  不服そうに怜音が目を上げた。 「じゃなくて、一番最初に使うの、私じゃダメじゃんってこと。最初に使うのは買った人じゃなきゃ……」  すると、怜音は声をあげて笑った。 「やだー、なにそれ。初めに誰が使うとか、そんなの気にしないよ」 「わ、私は……、気にするから」 「……愛果は変わらないね。変に真面目」  恥ずかしくなって俯く私に、怜音はしみじみとそう言った。 「久しぶりだよね、こうやって話すの。小学生ぶり? だっけ?」 「うん」  オレンジ色に彩られていく自分の爪を見つめながら頷く。怜音とは物心がついた頃からずっと一緒にいて仲が良かったけど、中学に上がり、怜音に彼氏ができてからは疎遠になった。怜音を見る女子達の目が、小学生の頃はそこまで厳しくなかったのに、中学で急に棘のようになったのも大きい。私は悪口には乗らず、かといって庇うでもなく、なんていうか微妙な立場をずっと貫いてきた。  卑怯な臆病者だっていうのは、自覚してる。 「塗るの上手いね」 「そう?」  ずっと爪を観察しているのも退屈だったから、密かに視線を怜音の方に移動させた。長い睫に縁取られたクリッとした大きな目。形の良い鼻と口。小さい顔。どれだけ高い解像度でも耐えられそうなほど、きめ細かい肌。生まれつきだという栗色の髪はツヤツヤでサラサラ。長い手足。細身なのにメリハリのある体。改めて見ても、やっぱり迫力がある。大体の女の子が欲しがっているものを持ってるって感じで、怜音を嫌ってる女子の何割かは彼女に憧れてもいるんじゃないかって思う。 「ねー、愛果はどうなの? 彼氏いる?」 「いなーい」  またその話題か。 「じゃあ、好きな人は?」 「……いない。てか、人を好きになるって、よくわかんないんだよね。ときめくとか、誰かのために一生懸命になるとか経験無いし」  冗談っぽく笑って流そうとしたら、急に怜音が顔を上げた。 「私も! 胸キュンってしたことない!」 「え、でも、彼氏いるじゃん……」 「あー……。私って、『私のことを好きな人』が好きなんだよね。だから、自分から誰かを好きになったこと無いんだ」 「そういうの、途中でツラくなったりしない? 私、そこがどうしても引っかかって、『断ろ』って思ったんだけど」 「断る……って、何の話?」  怜音の目が興味深げに光った。しまった。罰ゲームに付き合わされたこと、誰にも話してないんだった。  とはいえ、秘密にしなきゃいけない理由も無いから、笑い話みたいにして全部話した。すると、怜音は少しだけ怖い目をして、 「四組のサトウノボル……? あー、あの微妙にイキった四人組の……」  と呟いてから、またクルリと表情を変えた。 「はい、できた。やっぱり似合ってる。可愛い」  可愛い人に「可愛い」と言われるのはムズムズするけど、嬉しいものは嬉しい。オレンジ色の爪はピカピカで、見ているだけで元気になる。明日が休みで良かった。こんなに綺麗なのに、すぐ落とすなんてもったいない。 「ありがとう。ほんと言うとね、ネイルって初めてなんだ」 「そうなの? もったいない。これから色々試してみるといいよ。……そうだ、これあげる」  怜音は、立ち上がるついでにポンと小さなスプレー缶を投げてよこした。 「何?」 「催涙スプレー。これからどっか行くんでしょ? 夜だし、持ってた方が安全だよ」 「行くっていっても、すぐそこのコンビニだよ。それに、私なんて誰も狙わない……」 「何言ってんの。いいから持ってて。私の分は家にもう一個あるから、気にしなくていいよ」 「そういうことなら……。ありがと」 「うん。じゃあ、私は帰るね。親から鬼電が来ててヤバいんだ」  と、忙しなく手を振って怜音は行ってしまった。私の爪なんかより親の電話の方を優先すればいいのに。そう思いつつも、丁寧に塗ってくれた両手の爪を眺めて、しばらくの間ニマニマした。
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