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風呂場
そうこう考えているうちに、風呂場についたらしい。さすが、豪邸の風呂。温泉プールと言われても納得するくらいの大きさだ。湯気があるせいもあるんだが、風呂の端が全く見えねぇ。
俺にとっては大きいお風呂というと近所の銭湯までのせいか、慣れないこともあって変にそわそわしてしまう。
「自分で洗えるか」
言葉で言っても通じないので、一回頷く。それを肯定ととってくれたみたいだ。タオルらしきものを渡された。触った瞬間、綿のようなふんわりとした感触を掌に伝えてくるそれは、かなりの高級品であることが、一瞬で分かった。
あの店にいた時のタオルはごわごわしてて、正直痛かったからな。
「これで体を洗って来い。服はこちらで用意しておく」
そう言われた瞬間、ひらめいた。
これはもしかして。これは逃げるチャンスなのでは。
俺は心の中で、にやりとする。笑いが口から零れそうになったのを必死に防いだ俺を褒めて欲しいくらいだ。
俺が風呂を浴びている間、きっと化け物はいなくなる。その機を狙って、こっそりと風呂場を抜けだして、紋章がまだ書かれてない場所から脱出。こいつから離れると紋章が痛みを発するらしいが、痛みなら喧嘩で慣れてるし、脅し程度ならそこまでの痛みではないだろう。そんで、そのまま逃げられるところまで逃げて、化け物達に見つからないようにしつつ、元の世界に戻る方法を探す。
我ながら、完璧な作戦ではないか!
「一人で出来るから、さっさと出てけ」
「……」
「なぜ、動かねぇんだよ」
「やはり、俺も一緒に入ろう」
「は?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。ちょっ、待て待て。それじゃ、俺の作戦が決行できないじゃねぇかよ! それは今起こり得るどの出来事よりも困る事だ。それだけは阻止しなくては。
「俺一人で大丈夫だからさ、な!」
「何を言ってるか分からないが、遠慮ならしなくていい」
誰が遠慮なんかするかボケ! 勘違いも程がある。こいつには、俺のこの分かりやすい位、嫌そうな顔をしているのが分からんのか。
こうなったら、このまま逃げてやる。幸い、ジークに飲まされた体液の効果は、もう殆どなくなってるしな。
「そうと決まれば」
俺は、目隠しになるように化け物へタオルを投げると、ドアへと走った。こっちに来てから、ジークとの攻防戦でさらに鍛えられた、俺の反射神経なめんな。
あと少しで、ドアのノブに手がかかる。その瞬間。
「うわ!」
背後から伸びてきた触手が腹に巻き付く。俺が見てきたどの触手よりも早い行動に、俺は避ける動作すらすることが出来なかった。そのまま、ものすごい力で引き戻され、風呂の中へ放り込まれる。
「ごほごほ!」
いきなり風呂に突っ込まれたせいで、口の中にお湯が入り込み咳き込んだ。しかも、鼻にまでお湯が入ったのか、つんとした痛みに思わず涙目になる。
風呂から顔を出すと、風呂場の淵に仁王立ちした化け物がいた。俺を見つめる緑の目は据わっていて、暖かい筈の風呂場が氷点下になったような感覚に陥った。そのせいか、ぶわっと全身の鳥肌が一瞬で立つのが嫌でも分かった。
この視線には覚えがある。
これは、殺気だ。
「逃走癖があるというのは、本当みたいだな。おい人間。あまり手を焼かせるようだったら、黒髪だろうとなんだろうと容赦なく喰う。お前の代わりなど、いくらでも買ってこれるんだ。それだけは覚えておけ」
「……」
こいつが言ってる事は、全て本気だろう。言葉に全く迷いがなかった。だが、俺も俺で元の世界に帰ることを諦めるなんて選択肢、端から持っていない。それに、こういう時の相場は最初から決まってんだよ。
「俺は、お前に屈しない。全てがお前らの思い通りにいくと思うなよ」
目を反らした方が負けだと。
暫く睨みつけていると、向こうから目を反らした。思わず、拳を握る。
よし、この勝負、俺の勝ちだ! ざまぁみやがれ!
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