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精悍な顔に甘さを漂わせる本条は、スタイルも良くスーツが映える。本条の行きつけだというバルに向かう途中でも、男女問わず誰もが振り返った。
有坂はそれどころではなかった。本条の後について歩き進めるたび、視界がぶれるような軽い眩暈がしていた。それは本条の家で感じたものと同じものだ。
そして本条が歩く道は、有坂は一度も来たことがないのに見覚えがあった。カフェや自動販売機の位置、居酒屋や洋服店の映像が、足がその場所にたどり着くより先に頭に流れ込んでくる。ここに来たことがあると、確信した。あの夢の中で。
有坂は足を止める。心臓がバクバクして、胃が迫り上がってくるような不快感が嘔吐を催す。口を押さえて白い顔をする有坂に、本条は「大丈夫?」と労いの言葉をかけた。有坂は首を左右に振る。
「……こわい」
「なんで? 来たことあるでしょ」
有坂はびくりと肩を縮めた。やはり、本条は分かっていて連れてきたのだ。
本条の手が有坂の指に絡まり貝殻のように合わさった。いわゆる恋人繋ぎだ。そのまま手を引いて、赤い塗装の自販機の前まで連れて行く。
「自販機で、よく季節限定のジュース買ってたよね。ゼリー入りの炭酸とか、季節のフルーツの紅茶とか」
本条はスマートフォンをかざしてあたたかいコーヒーとココアを買う。その手の輪郭が一瞬ブレて、コーンスープやミルクセーキが並ぶ中、カレーのパッケージの缶を選ぶ指先のビジョンが浮かぶ。
「なんでカレー……?」
有坂が呟くと、本条はパァッと顔を輝かせる。
「そう! そう! 買ってた! 変わった味のものよく買ってたよね」
本条は懐かしそうに眉を下げ、どっちがいい? とココアとコーヒーの缶を差し出す。有坂はコーヒーをとり口にした。微糖と記載してあるのにやけに甘い。甘いものが苦手になってしまった有坂だが、捨てるのも気が引けちびちびとコーヒーを舐める。
「ちょっと顔色良くなったね」
優しい微笑みがじわりと胸に沁みた。それでも心の隅から、本条は自分のことがどう見えているのだろう、と有坂は穿った目を向けている。
本条は有坂の手を引きながら、この洋服店で時計を買っただの、ここの信号機が毎回長く待たされるだの思い出話に花を咲かせた。有坂が相槌を打ったり夢で見たことを話すと、本条は嬉しそうに笑った。
そうするうちに、有坂は実際に本条とこの場所を巡ったような気になってくる。本当に本条の恋人になれたようで嬉しさが込み上げる一方で、自分が別人に成り代わってしまいそうな恐怖が付き纏っていた。
バルの前にきた瞬間、名物料理の形状や味や食感が、メニューを見てもいないのに目や口の中に蘇った。胃の中のものが逆流してコーヒーの匂いが喉元まで迫り上がる。
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