うさぎと患者《クランケ》

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 心は何処に宿るのだろう。  有坂スバルは毎朝思う。  六時に起きて顔を洗い、髭を剃り、パジャマのまま洗濯物を干して朝食に牛乳をこれでもかといれたカフェオレを飲み干す。  大学に入学すると同時に一人暮らしを始めてから、かれこれ三年は続けているルーティンだ。自分の匂いのするパジャマ、髭の生えるサイクル、ストレートで猫っ毛の髪質も変わらない。  だが、洗面台の鏡に映った自分の顔や身体は、いまや"ほとんど他人の身体でできている"。  今の医療の発展は凄まじい。二年前トラックに轢き潰された身体さえ再生させてしまった。その時内臓も、皮膚も、血管も神経も血液もごっそり入れ替わった。  その手術は人相さえ変えた。吊り目気味だった目尻は少し下がり、顎の骨を整えるため削られた輪郭はシャープになり、取り替えられた角膜は虹彩の色をほんの少し明るく変え、鏡の中にはかつての有坂によく似た穏やかそうな青年が映っている。  行動パターンも思考も匂いも声も変わっていない。だが鏡の中にいるのは自分の顔ではない。  もちろん臓器の提供者には感謝しているし、死ななくてよかったと思っている。けれども、借り物の肉体に乗り移っているような感覚はいつまで経っても抜けない。  しばし鏡の中の見慣れた他人と視線を交わし、有坂はいつも着ているデニムジャケットを引っ掛け、スポーツブランドのリュックを背負って大学に向かった。    
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