「人生は自分で変えられる」

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それから7年後 11歳 野球少年時代 私は相変わらず泣き虫だった。 野球を始めて1年が経過していたが ボールを取るのが下手で ラストノックと言われる本日の練習が終わるときに 体を休めつつ、ボールになれるための練習をしていた。 ただ、体が疲れており10本ほどふらふらしながら取っていた。 それでも監督からのOKの合図が無く、ずっと....。 私は恥ずかしくて、みんなを待たせるのが申し訳なくて泣いてしまった。 すると、保護者手伝いとしてきていた父が近づいて 私の首元をひっぱりあげ、グランド(練習場)から みんなの死角になるところへ連れて行き 私のお尻を タイキックのように蹴ったのだった。 そのあと戻れ。といわれまた再びノックを受けた。 その状況を監督やコーチも見ていて驚いたようで その1本で練習が終了した。 そして、6年生になった公式試合で私は100km近くの ボールが顔面に当たった。 デットボールだ。 しかし、痛みから涙が出てうずくまっていた。 すると 「泣くな!立て!(頑張れ!)」と聞こえた。 父親の声だ。私は反射的に足が動いていた。 当時の私には、痛みから意識が朦朧としており 父の頑張れは聞こえていなかった。 数年後にみた動画で知ることとなる。
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