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この時、既に母の理解力は普通の会話のスピードについてこられなくなっていた。
勿論、記憶なんてとっくの昔に何処かに置き忘れてきている。
そうなんです。もう母の前ではちょっとややこしい話はしてはいけなかったんです。
そうは言っても、父が母から取り上げたのは通帳だけ。銀行印は母が後生大事に握りしめている。
何とか納得させないと銀行印を手放させる事も、委任状を書かせる事も出来ない。
怒りまくる母の前で、通帳整理は暗礁に乗り上げたんです。
母が健常であればどんなにかかっても一月もあれば、整理はついた事。それが今も中途半端な状態。
焦るあまり母への対応を間違えた家族の失態。
『認知症は本人の責任じゃないもの、単なる老化じゃないもの。
癌などと同じで病気なんだ。そう、脳が破壊される病気。』
何度も自分自身に言い聞かせてる言葉。そうでもしないと理不尽さに爆発しそうになるんです。
今年の春まで地域の福祉委員をさせて頂いていたおかあちゃん。それまでは認知症は老化の先にあるものだと思ってました。
でも実際は全く違う。全くの別物。
認知症の父母を抱える方と話すと口を揃えて言われるのは、
『皆さん、病院で診てもらえば? とか、うちの母も最近物忘れがひどいのよ なんて言うけど、病院に連れて行く事が既に難しいし、物忘れって言える範囲なら認知症じゃない。何でも簡単に言わないで欲しい』
って事。
今、おかあちゃんも切実に思う。老化による物忘れと認知症を同じ感覚で話されると、とても虚しくなる。
そんな甘いもんじゃないんだよ!
って叫びたくなる。そんな簡単なモノなら誰も介護鬱になんてならないし、介護を苦に命をたつなんて事はしない。
ちょっと愚痴になっちゃったけど、ごめんなさい。
そんなこんなで未だに通帳整理は終わってません。
家族も認知症を理解するのに四苦八苦、手探り状態なんですよ。
そしてこの事が3ヶ月経った今でもあとを引いています。ことある毎に私に隠れてコソコソと何かしていると、猜疑心の塊になっています。
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