愛そして未来…

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29年後。2015年夏。 ユンは、維多利亞港(ヴィクトリア・ハーバー)に佇んでいた。 客船や作業船が行き来している向こうに、九龍の街並みが見える。 香港島も、九龍側も、80年代とはすっかり様変わりしている。 オシャレになりすぎてしまって何だか面白くないなと思っていると…。 「おじさん!」 振り向くと、博覧道(エキスポ・ドライブ)に1台の衝鋒車(チョンフォンチェ)‐ベンツ・スプリンターが停車し、女が一人、降りてきた。 空色のシャツ、紺のズボンにベレー帽姿の女警だった。 「ホーか。元気そうだな。」 「おかげさまで。」 陳皓玲(チャン・ホーリン)は何から何まで…特に笑顔が母親‐チュそっくりだった。 「おじさんはどうしたの?仕事は?」 「ん?殆ど部下共がやってくれるから、俺の出番は殆どありゃしない。」 「…そう…。」 ホーの笑顔に、少し陰りが見えた。 「…何が言いたいか、分かってる。」 「おじさん、私は別に…。」 「いや、いいんだ…息子が政府への抗議デモに参加したせいで、閑職に飛ばされた哀れな中年警官だよ、俺は。」 「そんなこと言わないで。」 ホーは露骨に嫌がる顔をした。 「俺だけならともかく、お前にも迷惑をかけちまった。 お前は、あいつの従姉ってだけで、三部隊(※)の選抜で落とされちまったようだし…。」 「あれはおじさんのせいじゃ…。」 「とにかく…今の俺は惨めなものさ。40年近く差人(チャーヤン)やってきたが…そろそろ潮時かもな。」 「…おじさんが辞める時、私も一緒に辞めるわ。」 「何言っているんだ。お前はまだまだこれから…。」 「私も…。」 ホーは頭の後ろで腕を組み、背を伸ばした。 「私も、警察って何のためにあるんだろう、誰のために仕事してるんだろうってって、この頃ずっと考えてる。去年の雨傘デモで、PTUもEUもすっかり嫌われ者になっちゃったし…。」 「…。」 「私たち、これからどうなるのかな?」 「…分からん。」 ユンはそう答えるしかなかった。 「明日にでもまたデモが発生したら、私は上層部の命令でデモ隊をボコボコに痛めつけているかもしれない。そうなる前に、足を洗って、団地でお料理作ってた方がいいかもね…。」 「よせよ。お前はマオとは違う。」 「でもこのままじゃ。」 「…。」 二人は黙ってしまった。 次にどんな言葉が出るべきか、分からなくなってしまった。 ヴィクトリア・ハーバーの風にしばし吹かれていると、ホーの左肩に付けられたマイクから、声が聴こえてきた。 「亞細亞銀行香港支店にて、銃を所持したグループによる強盗事件発生。犯人グループはBYD(※2)タクシーを奪い、菲林明道(フレミングロード)北角(ノースポイント)方面に逃走中…。」 「…ホー、どうする?」 「こういう相手なら…。」 ユンもホーも笑みを取り戻した。 「行ってこい。」 「…おじさん、まだショットガンは使える?」 「え?」 「自分の署に帰るついでに、パトロール手伝っていて、たまたま急行することになったなら?」 「…。」 「冗談よ。」 ホーはさっさと衝鋒車へと走っていく。 「のんびりしてるといいわ。」 「待ってくれ!俺も行く!行くから!」 ユンも慌てて後を追いかけた。 ホーに続いて衝鋒車に飛び乗ると、スライドドアを閉めた。 それと同時に、衝鋒車は甲高いサイレンを鳴り響かせ、走り出した。 「防弾具が足りないけど、どうするの?」 「いらないよ。いいか?俺はな…。」 「知ってる。ユンおじさんは…。」 二人は口が動くタイミングを合わせた。 「殺しても死なないから。」 互いにニヤリと笑い、手のひらを叩き合った。 ※1…SDU、ASU(空港警備隊)、CTRU(対テロ巡回隊)の三つ。 選抜試験は合同で行われる。 ※2…中国本土の自動車メーカー。香港では、電気自動車のタクシーなどが導入されている。
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