銅鑼灣は血の海、灣仔は火の川

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‐ところ変わって灣仔(ワンチャイ)近辺。 駱克道(ロックハートロード)にあるワンタン専門店。 店内では五、六人の客が思い思いにワンタン麺や粥をすすっていた。 と、その時、どこからか電子音が。 ピーピーピー・・・。 客は一瞬食事をやめ、さりげなく音源を目で探す。 ワンタンを食っていた一人の男。丸顔、濃い眉毛、大柄な体格。地味なズボンに、見るからに使い古した半袖シャツ。 その胸ポケットから音が鳴っている。 男はとぼけたように周囲を見回し、視線をポケットに移すとそこからポケベルを取り出した。 不愉快そうにスイッチを押す。音が鳴り止んだ。 他の客はまた食事を始めたが、ポケベルの鳴っていた男だけは違った。 男はカウンターまで行くと、 「唔該(ンゴイ)(ちょいと失礼)。電話を。」 レジ打ちの若者は訝しげな顔をしつつ、 「得啦(ダッラ)(いいっすよ)。」 「唔該(ンゴイ)(悪いな)。」 男は受話器を手に取った・・・と、同時に店にまた別の男が飛び込んできた。 「おい、ユン!」 電話しようとしていた男が振り向く。 飛び込んできたのは一見二十代くらいの青年、いや、少年のような男だった。 色白の細面で、女装でもしようものなら女にしか見えなくなるはずだ。 ユンと呼ばれた男が口を開く前に、 「彪雄貴金属店の非常回線が作動した。」 「貴金属店?強盗か?」 「まだ分からない。」 「…クルマはあるか、キン。」 「見りゃわかるだろ。」 なるほど、いつの間にか道の反対側にシルバーのホンダ・アコードが止まっていた。 エンジンがかかったままで、屋根の青いランプが周囲を照らしている。 「お前の銃はグローブボックスの中だ。さ、行くぞ。」 キンと呼んだ男とともにユンは‐店員に代金を払ってから‐店を飛び出し、道を横切り、アコードにたどり着く。 ユンは運転席に乗り込むと、ギアを入れ替え、サイドブレーキを上げ、アクセルを踏み込む。 アコードは発進した・・・バックで。 「何バックで走ってんだよ、というかここ逆走禁止だろが!」 「うるさい!」 駱克道は一方通行なのだ。自動車で波斯富街へ行くには、銅鑼湾の方へ走り、軒尼詩道(ヘネシーロード)に出て、また西へ向かうしかない。だが・・・。 「回り道やってる間に、逃がしちまっていいっていうのか?」 「分かったよ、兄弟、任・せ・る#。」 アコードは駱克道から波斯富街に出るとバックスピン。ようやく前を向いて現場へと急ぐ。 軒尼詩道との交差点を通り越した時だった。 禮頓道(レイトンロード)へ向かうトラム。その後ろから1台の的士(デシー)(タクシー)が飛び出してきた。 正面衝突寸前で避け、アコードは右側の歩道に乗り上げ停車。 タクシーはそのまま軒尼詩道へ出て、左折していった。 ユンが後ろをにらみながら 「近頃の運転手は酷いな。」 「今の連中だ。」 「え?」 キンを見る。 「今のが強盗犯だ。」 「本当か?」 「間違いない。車内にライフルが見えた。」 ユンは一瞬考える表情をしたが、すぐに 「お前降りろ。」 「え?」 「俺が追跡する。お前は現場を・・・快啲(ファイディッ)!(早くしろ!)」 「分かったよ。」 渋々キンはアコードから降りた。 直後、アコードはまたしてもバックで発進。そのままヘネシーロードに出るとさっきのようにバックスピン。 タクシーの後を追って行った。 残されたキンは現場へ向かう。強盗があったのはこの通りの、車の進行方向から見て右側の一店だ。 その店の前にアタフタした様子の男性がいた。 キンが駆け寄る。 「私、車盗まれたんですよ、銃持った連中に。早く警察を・・・。」 「落ち着いて。」 キンはシャツの胸ポケットからプレートを出し、クリップで留めた。 自分の写真が貼られ、所属-灣仔警署CID-とIDナンバー、それに「陳永健(チャン・ウェイキン)」と名前が記されている。 タクシーを盗まれたらしい運転手は、相手が警官だと分かると 「あいつら、地下鉄の近くから乗り込んだんですがね、ここまで来たらいきなり銃突きつけて引きずり下ろして、車を奪って行ったんですよ。捕まえてくださいよ。車がなかったら商売ができない。」 「分かりました。では全力を挙げて・・・。」 なおもすがる運転手を制して、キンは現場となった店へ入っていく・・・。
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