第二話 邂逅

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***  あの時、気まぐれを起こさなければよかった。  そうしたら、きっと――。 「――ちゃん、晩霞ちゃん? どうしたの?」 「!」  肩を叩かれて、意識が引き戻された。  頭の中を駆け巡った過去の映像は一瞬のものだったが、とても長く感じられた。しかも、こんなにはっきりと思い出したのは久しぶりだ。  我に返って瞬きすれば、テレビのチャンネルが切り替わるように、明るく白いロビーの光景が飛び込んでくる。眩しさに目がくらみ、晩霞はよろけてしまった。  いつの間に引き返していたのか、傍らにいた陶が慌てて晩霞の肩を支える。 「ちょっと、大丈夫? もしかして、オーナーがイケメン過ぎて驚いちゃったとか?」  冗談交じりに言うものの、陶は晩霞の様子を心配そうに窺っていた。大丈夫だと答えようとした晩霞の視界に影が差す。  甘くスパイシーで爽やかな香りが鼻を掠めた。香水か整髪剤かは分からないが、不思議と落ち着く香りだった。  白檀に丁子、茉莉花……かつて、晩霞が呪妃だった頃に薬として集めたそれらを混ぜて、自分の好みの香りを作っていたものだ。  奇妙な懐かしさを覚える晩霞の前で、高級スーツを着た青年がすっと屈みこむ。(かしず)くような動作にぎょっとしたが、青年は晩霞の足元にある白いビニール袋――ケバブサンドの入った袋をいつの間にか落としていたらしい――を拾ってくれただけだ。袋を取る手は大きく、長い指の爪の先まで完璧に整っていた。   思いがけず青年を見下ろす形になり、晩霞は困惑する。さ迷わせた視線の先、青年の癖のある髪が短く切られていることで、ふいに夢から覚めた気分になった。頭の中の混乱が、波が引くように薄れていく。  そう、ここは現代。長髪が当たり前だった千年以上前の過去ではない。  そして晩霞もまた、『呪妃』本人ではない。現代を生きている、ただの人間だ。 「……」 「すみません、驚かせてしまいましたね」  立ち上がった青年が晩霞を見下ろす。  視線を上げた先にある顔――蜜色の瞳や通った鼻筋、唇に浮かべる優し気な笑みはたしかに小華によく似ていたが、自分の記憶の中よりもずいぶんと大人びて見える。  あの頃の彼は二十歳に満たず、少年と青年の境にいた。だが、目の前の青年は二十代半ばくらいで、今の晩霞よりも年上、分別のある大人といった雰囲気だ。  引き締まった精悍な頬に漂う余裕や、落ち着いた佇まいに滲む色気は、小華には無かった。
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