第二話 邂逅

26/31

13人が本棚に入れています
本棚に追加
/43ページ
 不安を生むのは、天華のことだけではない。  近頃、昔の夢をよく見るようになった。今まではせいぜい一年に数回で、しかも大抵が悪夢だった。  大勢の兵に追われ取り囲まれる夢や、冷たい地下牢に閉じ込められ飢えて苦しむ夢。あるいは、死んだ後に虫や小動物に転生しては無残に死ぬ夢。  どれも過去の記憶というよりも、記憶の中でできたイメージと言っていいだろう。恐怖で跳ね起きて、変な動悸や冷や汗に震え、その夜はもう寝付くことができなかった。  しかし、最近の夢は違う。昔の記憶をそのままなぞっている。  幾度もの転生で薄れていき、ほとんど忘れかけているそれは、自分の意思で思い出そうとしてもできないくらいなのに、夢の中では不思議とはっきり現れる。  夢はすべて、黒天宮での呪妃と小華の夢だった。  今思えば、小華と過ごした時間は、呪妃の人生の中で唯一穏やかで、幸せなものだったかもしれない。  最初こそ、気まぐれで助けた小華を追い出そうとはしていたが、己を恐れることなく献身的に仕える彼に、呪妃は次第に心を許していった。王宮で恐れ憎まれ、術や呪詛で多くの人々に手を掛けてきた彼女が、唯一心を休めることができる存在となっていた。 『呪妃さま、今日は一段と冷え込みますね。火盆で衣を温めておきました』 『胡桃を貰ってきました。炒って甘い糖蜜でからめましょうか? それとも小さく砕いて、松の実や瓜の種と一緒にりんごに詰めて蒸しましょうか』 『呪妃さま、庭に梅が咲いておりました。いい香りですよ』  小華が向ける笑みは、純粋に呪妃を慕うものだった。多くの者が向けてくる、へりくだったり、媚を売ったり、恐怖を隠したりするためのものではなかった。  すると小華につられ、己も自然と笑みを浮かべるようになっていた。普段は面を付けて隠していたが、自室ではさすがに外している。緩む顔を見られたくなくて手や袖で隠しても、小華には時折見られていたようだ。  いや、むしろ、呪妃の表情を見逃すまいと、少しでも笑ってくれるようにと、逆に甲斐甲斐しかったように思える。  胡桃や木の実の類、甘いものが好物だというのを知られていて、食卓には必ずそれが用意されるようになっていた。  どこからか届く梅の香に気をとられていたら、翌日には満開の梅の花が花瓶に飾られていた。  よく気の付く少年は、年が長じていき、やがて青年へと移り変わる年頃になる。  いつの間にか背は追い抜かれていた。肩幅は広くなり、華奢だった白い首はしっかりとして、喉仏がはっきりと見えてくる。だというのに、彼の美しさは変わらなかった。  それどころか、磨き上げられて洗練されていく。元々の容貌が美しかったこともあるが、女に扮装することで必然的に肌や髪の手入れをしていたせいもあろう。  目も当てられなくなると思っていた女装姿は、男とも女ともつかぬ倒錯的で危うげな色香を匂わせた。美しい仙女のような見目に、彼の持つ本来の性がにじみ出てくれば、黒天宮に仕える使用人達は男も女も彼に見惚れた。  浮いた噂が出てこなかったのは、その頃には彼が呪妃の『お気に入り』として知られるようになっていたからだ。  恭しく傅く彼が見上げてくる。その目に宿るのは憧憬や敬愛、それから――。 『呪妃さま、私はあなたを――』  彼はあの時、なんと言っていたのか。  夢の中で、呪妃は己を見上げてくる彼を見つめる。  音を発することなく、薄く紅を刷いたような口元が動く。  それはやがて、天華のものへと変わっていった――。
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加