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「着いた……」
自宅マンションの最寄り駅から二駅。駅から徒歩十分の場所にその建物はあった。オフィス街に造られた緑地公園の奥、小道を辿った先にひっそりと佇む煉瓦造りの三階建ての建物。民国期に建てられたようで、欧米風のレトロモダンな雰囲気がある。
周囲は高い鉄柵で囲まれており、門は閉じられていた。晩霞が近づくと、門に付けられた監視カメラが動き、小さな電子音が鳴って開錠される。
恐る恐る敷地に入り、アプローチを辿って入口の扉の前に立った。扉の横には『四海奇貨館』と書かれた小さな銅板が掛けられている。
ここが、晩霞の職場である。
四海奇貨館は、あの『四海グループ』の私設博物館だ。
四海グループは名の知れた巨大企業であり、鉄鋼業、建設業、不動産事業、ホテル経営等々、幅広く事業展開をしている。最近ではIT関連にも手を伸ばし、『四海八荒』(全世界の意味、略して四八)などの検索エンジンが有名になっていた。
とはいえ、実のところ、晩霞が希望した職種とは全く関連のない会社である。
晩霞が大学で専攻していたのは歴史学だ。前世のことを考えないようにしていても、かつての自分がいた時代は気になるもので、気づけば勉強するようになり、歴史学科に入っていた。
そこで分かったのが、前世の自分がいたのは、おそらく王朝が唐から宋に移り変わる間の、五代十国時代だろうということだ。当時の生活や習俗、服装、建物や調度品の造りなどを調べる限り、一番記憶に近いように思える。
だが、その時代の資料をいくら調べても、『呪妃』のことは書かれていなかった。
それどころか、呪妃が仕えていた王の名も、支配していた国の名も見当たらない。幾つもの王朝や地方政権が乱立し、国が作られては誰かが王位について、そして滅ぶ。何もかもが乱れていた時代で、当時生きていた呪妃すらも把握はできていなかった。
けれども、そこだけすっぽりと、まるで誰かが切り抜いてしまったように存在しないのが逆に奇妙に思えた。
気になって、晩霞はあの時クーデターを起こした者達についても大学で調べてはみたが、こちらも探すことはできなかった。
……まあ、歴史は後世の者が作っていくものだ。当時呼ばれていた名が変わることもある。
思えば、呪妃は悪名こそ高かったが、十年程度しか王宮に居なかった。
妲己のように寵愛されて王に悪行をさせたわけでも、楊貴妃のような美貌で国を傾けたわけでもない。
高貴な血も引いていない、後ろ盾もいない、ただの小娘。王の命を受けて、呪術を使うだけ……と、また物思いに耽りそうになって、晩霞は首を振った。
今日は朝からどうも調子が悪い。間違いなく夢のせいだ。
軽く頬を摘まんで、不快感と緊張をほぐす。
大学でせっかく学芸員の資格を取ったのだ。博物館や美術館など、歴史に関係のある仕事に就ければと願っていた。
せっかく決まった就職先で、昔のことに引きずられている場合ではない。ここでしっかり働いて自立し、望み通りの平穏な生活を手に入れるのだから。
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