刷り込みなり

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 それからも美奈里は恋を続けた。少なく見積もっても、年に四回。初恋から十四年間で、五十六回以上の計算になる。覚えているものもあれば、忘れてしまっているものもある。だが、概して、美奈里は、失恋を引きずらない。失恋直後は、心が痛み、泣きたくなるが、例の刷り込みが発動して、すぐに次の恋が始まる。そうすると、終わった恋のことは、不思議と全く気にならなくなる。失恋した相手とも普通に接することができる。あんなに好きだ好きだとつきまとってきたのにと、美奈里を振った当の相手の方が面食らうくらいである。  ファミレスの帰りに、美奈里は一人コンビニに立ち寄った。失恋直後のコンビニは危険である。高校の頃、「温めますか」 の一言で、男性店員を好きになってしまったこともある。その店員にとっては通常の客対応であったろうが、その時失恋直後であった美奈里には、傷ついた心をそれこそ温める優しいトーンに聞こえたのである。それから毎日学校帰りにそのコンビニに寄り、三日目にその男性店員を見つけると、「好きです」と告白した。制服を着た女子高生がいきなり「好きです」 と伝えてくる。男性店員はまんざらでもなかった。新卒で入った会社にどうしてもなじめず、転職先も決まらないうちに三年で辞めて、コンビニでバイトしていた。  二人付き合い始めると、美奈里はすぐにそのコンビニのバイトに応募し、採用された。男性とシフトを合わせた。最初の一月は、とても楽しかった。男性は、美奈里に丁寧に仕事を教えた。美奈里は、いつもうっとりとしながら聞いていた。レジでよくわからないときは、男性が助けてくれた。美奈里は、男性しか見えていなかった。店長が何か美奈里に注意しても、美奈里はすぐに男性の所に行った。男性と同じシフトでなければ、仕事に入ろうとはしなかった。  だが、コンビニは、そんな公私混同の遊び場ではない。次第に、と言うか当然に、美奈里は、コンビニの中で浮き始めた。人の気持ちがわからない美奈里ではないはずなのだが、男性が陰で色々フォローしてくれていることにも気付かず、相変わらず一人、男性と二人だけのお花畑にいるかのようだった。「何なのあいつ」とバイト仲間は皆、公然と男性に文句を言うようになった。その度に男性は「僕から言っておきますんで」と何とか宥めて回る日々だった。  男性は、相変わらずすぐに寄ってくる美奈里に、周りの目を意識して、よそよそしい態度を取り始めた。仕事の外で会っているとき、「周りの目もあるし、なるべくシフトは別にしよう」と提案した。美奈里は、それではコンビニでバイトする意味がない。「どうしてそんなこと言うの? 私が嫌いになったの?」と納得しない。次第に男性は、そんな美奈里がうっとうしくなってきた。そうやって付き合って二月が過ぎ、三月目に入っても、相変わらず美奈里は男性にべたべたくっついてくる。次第に男性も、コンビニの中で煙たがられるようになってきた。男性は、美奈里の顔を見るのもだんだん嫌になってきて、遂に別れを告げた。美奈里は、コンビニバイトを辞めた。  失意の美奈里は、近くの図書館に行った。大好きな太宰治の本を読んで、心を慰めようと思ったのだ。いくつか短編を読んだ。続いて、太宰の恋愛遍歴が書かれた本を読みたいと思った。そんな本はありませんか、とカウンターで尋ねると、痩せ型で色白の男性司書が、丁寧にいくつか本を推薦してくれた。美奈里はその男性が好きになった。それから美奈里は、足繁くその図書館に通うようになり、その男性と「この前はありがとうございました」などと言葉を交わすようになった。  その頃には、美奈里は、辞めたコンビニに行くことに、何のためらいもなくなっていた。別れた男性店員が殊更意識して、意識していない風を装ってレジにいるときも、美奈里は、その男性が本当に単なる一店員にしか見えなかった。美奈里の頭の中は、色白の男性司書で一杯だった。男性店員の方は、自分に未練があってしつこく会いに来ているのではないかと警戒したが、美奈里にそのようなそぶりは全くない。振られた腹いせに、嫌がらせのために客として来ているのかとも思ったが、本当に男性店員が眼中にないようである。女子高生は恐ろしい、と思うよりほかなかった。  そんな男性コンビニ店員の心など気に留めるはずもなく、美奈里は、図書館で本を読みながら、時たま色白の男性司書が働く姿を見る、そんな恋を続けていた。だが、あの美奈里である。陰でそっと見守る恋がいつまでも続くはずがなく、一月後には、その男性に告白していた。男性は、正直に、今結婚を前提に付き合っている人がいる、と美奈里に告げた。美奈里の近くの図書館での恋が終わった。
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