刷り込みなり

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 コンビニ、カフェ、本屋、大学……。様々な場所で危険が待ち受ける。「お先にどうぞ」「ノート貸そうか」「好きなの選べよ」「あの会社募集開始したよ」男性の様々な「優しさ」が美奈里に襲いかかる。その度に、美奈里は「一週間、一週間」と呪文のように唱えた。すると、不思議とその相手を好きになることはなかった。バイト先の店長も、もはやバイト先の店長でしかなかった。それよりも、この一週間を耐え切ることで頭が一杯だった。悠人君もそれがいいって言ってたし。 「よく耐えたよ、美奈里」  一週間後。ゼミの後のファミレスで、玲美が美奈里を祝福した。萌香は、お決まりのチョコレートケーキを美味しそうに頬張っている。智久は何も言わないが、毎週欠かさずこのファミレスに付いてくる。悠人は今日は用事があるとかで、先に帰ってしまった。 「うん、ありがとう、玲美ちゃん。やっぱり一つの恋が終わったからって、すぐに人を好きになっちゃいけないよね。だから私は続かない」 「そう。一回冷静になって、本当に好きって人を見極めてからでないと」 「そうだよね。先週悠人君も『お前は可愛いんだから』って言ってたし」 「そこそこ」が抜けてる、と玲美は思ったが、口には出さなかった。 「私は色気より食い気だな」そう言う萌香は、放っておいてもいつも男の方が寄ってくる。今は一学年上のゼミの先輩と付き合っている。先輩の方が萌香に惚れ込んでいて、萌香は他に別に好きな人がいるわけでもないし、その先輩の勢いに押されて、何となく付き合っている。美奈里は、私も萌香ちゃんみたいな顔に生まれたら苦労しないで済んだのに、といつも思っている。 「それでどう、一週間耐えた感想は」 「今まで生きてきて、こんなに人を好きにならなかったことはなかったと思うよ。それでも人間、生きていけるんだね」 「当たり前よ。美奈里は男依存症なんだよ。人を好きになるのはいいことだけど、やっぱり人となりを見てからでないと、幸せになんかなれないよ」 「智久君はいい人だもんね」  美奈里の隣に座っている智久が、居心地悪そうな顔をする。ゼミのみんなでいる時は、智久はいつも、玲美の隣には座らない。 「そういう話じゃなくて」と玲美が慌てて否定する。 「先輩はいい人?」と美奈里が萌香に話を振る。 「さあね」と萌香は気がなさそうに、アイスコーヒーのストローをくわえた。 「で、一週間耐えて、本当に好きな人は見えてきた?」 と玲美が話を戻す。 「うん。わかったよ、私の本当に好きな人」 「誰?」 「悠人君」美奈里は頬を少し赤らめる。「悠人君のあの一言がなかったら、私、この一週間、ここまで冷静になれなかった」 「あんたねえ、あれは」と玲美は言いかけて、美奈里の幸せそうな顔を見ると、言葉を止めた。悠人は、五人でいるときも、いつもスマホばかり見ていて、時たま適当に相槌を打つだけの男である。それでも、五人の中で浮かないようにと思っているのか、このファミレスには用がない限り付いてくる。私生活はよくわからない。玲美は「はぁ」とため息をつく。あれはいつもの何の気なしの適当発言じゃない。しかも、あいつが言っていたのは「そこそこ」よ。美奈里も普段なら、全く気にも留めないだろうに。  美奈里は何も変わらない。一週間耐えるどころか、結局その前にちゃんと刷り込みが発動している。玲美は美奈里が心配になるが、恋する美奈里の満ち足りた顔を見ていると、何にせよ人の恋路は邪魔できないな、と思わざるを得ない。もしかしたら、今回こそは幸せになってくれるかもしれない、それがたとえ刷り込みであっても、と淡い期待を抱かずにはいられなかった。 「頑張ってね、刷り込みなりちゃん」と萌香が美奈里に笑いかけた。
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