できない理由

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できない理由

「内山さんだからできたんだよ」 よく言われるが、この言葉が大嫌いだ。 そもそも、この言葉をかけてくるのはできない理由を言う人だけ。 自分としっかりと向き合い、生きるために日々一生懸命な人はこんな言い訳を僕に言ってこない。 「ストレス耐性があるから」 「強いから」 「体力があるから」 「やれる能力があるから」 そんなことあるか。 僕だってもちろんきつい時はきつい。 嫌なことは嫌なんだ。 ただ、生きようと思ったから。 何とかしたいと思ったから。 そして、今のまま終わりたくない。 できない言い訳を作りたくない。 世の中自分の思い通りになるもんか。 会社に勤めている人たち。 子育て、家事に奮闘している人たち。 家族を支えている人たち。 高齢者になって生きているおじいちゃん、おばあちゃん。 そして未来に向けて今を生きる子どもたち。 誰だって生きるために一生懸命なんだ。 僕は周りの人に助けられてきた。 運が良かった。 今生きられているのは自分だけの力じゃない。 ただ、僕は思う。 「俺だって生きるために一生懸命なんだよ」 だからこそ、僕から助けてといわなくても周りの人が助けてくれたんだ。 「助けてほしい」 助けは求めるものではない。 一生懸命に自分と向き合っている人には、自然と周りが助けてくれるんだ。 「誰も自分を分かってくれない」 分かるもんか。 どんなに親しくても、どんなに長年連れ添った人でも、相手の全てを理解できるわけがない。 だから言うんだろう? みんなと自分は違うって。 みんなが一生懸命に生きている事実。 耐性とかではなく、苦労、我慢、嫌なことや辛いことがありながらも生きている事実を理解できていないじゃないか。 理解している人は「自分を分かってくれない」なんて言葉は言わないよ。 それでも人に助けてもらいたいなら。 誰かを頼りたいなら。 自分を出さずに一生懸命に人を頼れ。 助けてもらうことだけに一生懸命になれ。 助けてもらう時間、頼る時間、話を聞いてもらう時間、助言をしてもらう時間。 どれも相手の時間を割いている。 相手を思いやれずに自分の苦しい気持ちを述べるのは、自分のためにやってほしいのはただの我がままに過ぎない。 ただし、世の中には「うつ病」「統合失調症」といった精神病になった人もいる。 当事者になったことがないから分からないが、多くの不安や苦しみと闘っているのだろうと思う。 事実、僕の弟もそうだ。 不安を述べ、ありもしない空想上の想いを述べ、生きることが苦しい現実を述べる。 理解してあげたい気持ちはある。 ただ、これから生きていくうえで彼に対して手を差し伸べるのは限界がある。 彼だって僕の気持ちは理解できていないから。 生きるために一生懸命になっている僕らの気持ちが理解できていないから。 だからこそ、僕は彼らを支援できる団体に預けることにした。 弟からすれば、不本意であるだろう。 家族を見捨てる残酷な兄と言う人だっているだろう。 だけど、僕だけ彼の気持ちを理解し、彼が僕の気持ちを理解せずに自分の主張を述べることはリスクしかない。 実は、2023年5月から親父と祖母は借家で暮らすことになった。 近くには長男夫婦がいて、時折孫を連れて遊びに来てくれている。 ただし、ここに弟が住み着きそうになっている。 それだけは阻止したい。 親父と岩手県で過ごした約1年間が全て無駄になるから。 親父が僕の元へ逃げてきた原因に弟の件もあったから。 親父とおばあちゃんには幸せになってもらいたいんだ。 親父は一生懸命になって生きてきた。 おじいちゃんが亡くなって借金を全て返済した。 退職して母ちゃんと一緒に暮らそうと思っていた。 母ちゃんが闘病生活だった時、2人は夫婦だった。 僕ら子どもが知らない夫婦愛。 本当は一緒に暮らしたかった気持ち。 2人を見て伝わった。 おばあちゃんを何よりも大切にしてきた。 昼も夜も仕事をしながら実家を守ってきた。 一緒には暮らせなかったけど、僕ら子どもたちが大人になるまで一生懸命に育ててくれた。 そして、最終的に守ってきた実家を飛び出し、僕の元へ来たんだ。 全てを捨てた親父の気持ち。 おばあちゃんを置いて逃げてきた気持ち。 僕にはどんな気持ちだったか分からないけど、親父がたくさん話してくれたから。 当時、3年ぶりに会った親父は歩くことすら、言葉を発することすらままならなかったんだから。 一緒に泣いて。 一緒に笑って。 誰の責任にもせず、自分を見つめ直した親父。 親父が出ていったショックでおばあちゃんは認知症になった。 最初は親父を我が息子とすら認識できない状態だった。 でも、今は親父を我が子と認識し、おばあちゃんは笑えるようになった。 もう親父とおばあちゃんの幸せを奪いたくないんだ。 親父は弟と一緒に暮らしたくないと言う。 おばあちゃんは弟が誰か分かっていないけど、感覚的に苦痛になっているのが分かる。 ただ、親父は我が息子である僕の弟にそんなことは言えない。 言えるんだったら今の状況になっていないんだから。 親父の年金を使わないでくれ。 これ以上借金を抱えさせないでくれ。 誰が何と言おうと、僕は嫌だ。 人がどう思おうが関係ない。 弟が僕を恨もうがどうでもいい。 正直な話、弟がこれから先に生きられなくなったらそれでいいとすら思っている。 生きる能力がないんだろうから。 ただ、生きるとするなら本人が気づくしかない。 辛い現実に立ち向かうしかない。 それが今の日本で生きる手段。 親父だって、自分の父の借金を返済して一生懸命に家族を守ってきたんだ。 そんな親父の背中を見てきて、弟と次男が悪く言うのが許せない。 子どもだった大切な時間に一緒に暮らせなかったと言う。 だから2人は苦しい思いをしたと言う。 今現在、苦労しているのは親父のせいだと言う。 お前ら、高校も大学も行かせてもらっただろ? お金が無くて学校すら行けない子どもたちだってたくさんいるんだぞ? ご飯が食べられなかった日はないだろ? ご飯が食べられない、親から愛情を注いでもらえなかった子どもたちがどれだけたくさんいると思ってんだ。 人の責任にするな。 社会が悪いだって? 言わせてもらうが、そんな社会でみんな生きているんだ。 生活を成り立たせているんだ。 大切なものをみんな守ってんだよ。 やりたくないことにも向き合ってんだよ。 自分のことすらできないのに社会が悪いなんて甘い。 人、社会に目を向けるなら、まずは自分のことができるようになってから言え。 他人のこと、よその家族のことは歩んできた道、育ってきた生活環境が違うから僕は何とも言えない。 ただし、亡くなった母ちゃんとその親である育ててもらった爺ちゃん、婆ちゃん。 そして親父、おばあちゃんとおじいちゃん。 たくさんの愛情を注いでもらった。 こんな幸せな家庭に生まれてきて、言い訳、不幸だったというのは失礼でしかない。 人への感謝の気持ちを忘れるな。 動物だって、虫だって、植物だって生きるのに必死なんだ。 楽して思い通りに生きられるほど、甘くはない。
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