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「はーい!ちょっと皆、静かにして~」
梨田がガラリと教室の扉を開けると、ざわざわとしていた教室内がさっと静まり返る。
30名程の生徒たちの視線を一気に浴びながらも、梨田は慣れた様子でにっこりと微笑んだ。
「先日も伝えたけど、今日から教育実習の先生たちが来てくれまーす。皆、ちゃんと先生たちの授業受けてくださいねー!」
梨田の言葉に、教室内はざわめきが起こる。
そして、その視線は必然的に俺に向いた。
「うちのクラスにも、1名きてくれました。ささっ、初瀬くん、自己紹介」
「あ……はい」
梨田に促され、俺は壇上に立つ。
ーーー4年前まで、俺もそっち側でここに立つ教師を見てた。
あいつ、話長いな、とか、あいつの書く字、汚くて読めねぇよ、とか。
よく頭の中で悪態ついてたけど、ここに立つと今度は俺が生徒たちから、そんなことを思われるのかもしれない。
ちらりと梨田を見やると、にっこりと笑って、どうぞ、と言った。
「…初瀬拓海です。数学を担当します。…短い期間ではありますが、よろしくお願いします」
発した声が、少し震えているのが自分でもよくわかった。
×××××
「初瀬くん、お疲れ様~。初めてなのに、授業、すごい良かったよ~」
「お疲れ様です。………緊張しました」
職員室の空いたデスクの椅子に座った俺は、一回目の授業を終え、脱力した。
梨田が隣でパチパチ拍手しながら言った。
「わかる~私も初めてのときはめちゃめちゃ緊張したもん、段々慣れてきたっていうか…あ、まあ、教育実習中に慣れるのは難しいかもしれないけどね~。でも、良い感じだった!また明日も頑張ってね」
「はい…ありがとうございます」
じゃあ、あとはレポートとか提出するものやっててね、と言って梨田は自分の業務に戻っていく。俺は、ふぅ、と息を吐き、デスクに向かいあった。
「ーーーあ、そうだ。波川くんとは、同級生だったんだよね?」
「!」
ボールペンを持って、書類に書き込もうとしたとき、梨田が振り返って言った。
俺の手が、ビクっと止まる。
「えぇと………はい」
「どう?なにか話した?担当クラスもバラバラだし、あんまり話す時間ないと思うけど…ほら、先週の金曜日!初顔合わせした帰りとかさ~一緒に帰らなかった?」
「あ…あの、えっと…特になにもないです」
「え~そうなんだ。まあ、そっか。うんうん、ごめんね、わかった!あ、もしなんかわかんないところあったらあとで聞いてね。じゃ、私、次授業あるから」
またあとで!と言って、梨田は足早で職員室を出ていった。
ーーー嘘だ。
金曜日、何か、なら、あった。
あったけど、それは。
学校の先生には、とても相談などできなかった。
×××××
ーーー先週の金曜日。
俺は、波川と再会した。
高校卒業以来だった。
あの日、俺たちは梨田先生と川原先生、そして実習生の俺と波川の4人で、今後の打ち合わせとか書類提出とかをしたあと、校内を軽く回った。
俺は、波川とまた会えた衝撃と動揺で、なかなか頭がついていかない中、必死に冷静を繕った。
久しぶりに会った波川は、高校の頃より、大人になっていた。
それは、見た目が高校時代の茶髪から黒髪に変わってたとか、スーツでちゃんとしてたとか、そういうことだけではなくて、波川の雰囲気が高校時代とは違う落ち着きを出していた。
校内を案内してもらっている間、俺は、つい波川の方へ視線を向けていた。
ーーーあぁ、ほんとに波川だ。
高校の頃、好きだった、俺の初恋の人。
でも、俺は結局、卒業式のその日まで、なにひとつ、気持ちを伝えることはできなかった。
半歩前を歩く波川は、俺の存在などまったく気にも止めていないかのように、一緒に校内にいる間、一度も目が合わなかった。
そうして、説明が終わり、その日は解散になった。
職員室前で、梨田と川原と挨拶したあと、先生たちは他に業務がある様子ですぐに職員室内に戻っていく。
一瞬、俺は、どうしよう、と思ったが、波川は「俺、サッカー部覗いてくるから」と、俺が返事をする前に、さっさとグラウンドに行ってしまった。
ーーーなんだよ、……そうだよな。
大した思い出のない同級生より、自分がエースで活躍していた部活の方が、興味あるよな。
俺は少しだけ期待した何かを頭から消し去り、校舎を後にした。
×××××
学校からすぐのバス停で、イヤホンをはめ、好きな音楽を聴く。
高校生の頃から変わっていない、いつも、こうやってバス停で音楽を聴きながら待っていた。
俺は高校時代、一応文芸部に所属していたが、運動部からしたら全然ゆるい部活動で、活動も週に2回ほどしかなかった。他は基本自由参加で、その日は、授業が終わってすぐ帰宅していた。
たまに活動がある日で帰りが遅くなるときがある。そんな日は、他の運動部たちの生徒ともバスの時間が重なり、座れないことも多かった。
でもーーーそうして帰宅が遅くなったある日。
俺は、同じクラスの波川を見つけた。
バスが同じ方向だとは知っていたが、なかなか一緒になることはない。
だからあの日、一緒にバスに乗れたのは、ある意味奇跡だった。
やってきたバスはなかなか混みあっていて、当然俺も波川も座る場所はなかった。
仕方がないので、手すりに捕まって車体の真ん中あたりに立っていた俺は、いくつめかのバス停で後ろのドアが空き、何人かがまとめて降りていく中ーーー
急に、すみません!と言ってドアが閉まる直前に気づいた客が、俺を押し倒すようにぶつかってきて、気づいたときには、俺は、手すりから手が離れてバランスを崩していた。
あっ……やばい。倒れる…っ!
そう思って目を閉じた次の瞬間、やってきたのは倒れた衝撃の痛みではなく、
ーーー……あっぶね、……大丈夫か?
優しく俺を抱き止めてくれた、波川空都の声だった。
「あのとき……波川、かっこよかったな……」
たまたま近くにいて反射的に庇ったのか、俺がクラスメイトだったから庇ったのか、わからないけど、そのおかげで俺はあの時、怪我をせずに済んだ。
俺は、当時のことを思い出しながら、目を瞑り考えた。
今日、また、波川に再会できたのは俺にとっては奇跡。それは間違いない。
だけど、波川からしたら、ただの元クラスメイト。しかも、特別仲が良かったわけでもないその他大勢のひとり。
だから、なにも変わらない、なにも、どうにもならない。
俺たちの再会に、特別な意味はないーーー
俺は自分に言い聞かせるように、両耳をイヤホンで塞ぎ、好きな音楽で心の中に湧き出す熱を沈めようとしていた。
ーーーその時だった。
「えっ」
俺の世界から、半分音が消えた。
左耳のイヤホンが外れ、引っ張られるようにイヤホンの線が揺れた。
びっくりして左側を振り返った俺の視界に入ってきたのは、
「ーーーお前、まだこの音楽聞いてんの?」
自分の右耳に俺のイヤホンをはめて、俺の方を見る、波川の姿だった。
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