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「数字も英語も日本語も記号も読めるのに、どうして数学の問題って解けないんだろうね」
「それがわかれば苦労しないんじゃないかな」
「公式を憶えてないからだよ」
「わかってるのかよ」
シャーペンを指先でくるくると器用に回しながら葉原さんは飄々と言った。まだ彼女がそのペンを解答用紙に置いた様子はない。
「わかっててもどうしようもないこともあるの。ダイエットとおんなじ」
僕たちは放課後の空き教室で二人並んで座り、数学の追試を受けていた。
追試といっても先生の配布した問題を解くだけのシンプルなもので「一時間後にまた来るから」とその先生も出ていってしまった。
作戦通り僕は彼女と二人きりだ。しかし今、告白するわけにはいかない。
「そういうもんなのか」
「そうだよ。ほら、小坂くんだって何にも解けてないでしょ」
葉原さんは回していたペンで、僕の白紙の解答用紙を指し示す。
この問題はとても初歩的な問題だ。標準成績の僕にでも容易く解けてしまうほどの。
それでも僕は正答を記入するわけにはいかなかった。ここで追試が終わってしまっては困る。
二週間後のあの日まで、この状況を引き延ばさなければならない。
「確かに。わかっててもどうしようもないね」
「うんうん、わかればよろしい」
何もわかってなさそうな葉原さんは満足そうに頷いて、再びペンを回し始めた。
僕はくるくるくると彼女の指と指の間を行ったり来たりするペンをただ見つめる。追試の時間に追試をしないとなると何をしたらいいのかわからない。
「それさ、ボールペンよりシャーペンのほうが回しやすいとかあるの?」
「え、うーんどうだろ。ちょっと小坂くんのシャーペン貸して」
「うん」
僕はなんとなく握っていたシャーペンを彼女に手渡した。「はい代打」と葉原さんはさっきまで滑らかに踊っていた自分のペンを僕に差し出す。
受け取ると、そこには少しだけ彼女の温度が残っていた。
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