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シエルの部屋はアロマの加湿器が焚かれ、桃のような甘い良い香りが漂っていた。薄いイエローの壁にはジャズバンドのポスターが貼られ、本棚には私の知っている小説が数冊並んでいた。
「座って」
促されるまま、床に置かれた木のテーブルの前に窓際のベッドを背もたれにして座る。シエルは本棚の上のCDコンポの電源を入れた。静かなクラシックの音色が、部屋を潤す。
「なんだか、居心地の良い部屋ね」
自然に口から出た感想に、シエルは目を細めた。
「オーシャンの部屋はもっとシンプルで、色々散らかってるの」
「あなたとオーシャンは、顔は似てるけど全然雰囲気が似ていないわね」
「そうね、ママにもよく私たちは正反対だって言われる」
シエルは軽快で、耳に心地よいトーンで話す。その迷いの感じられない話し方から、見た目によらずさっぱりとした性格なのかもしれないと感じた。
私は人見知りな方なのだが、彼女とは初対面なのにどういうわけか打ち解けて話すことができた。彼女の醸し出す柔らかな空気と、人を構えさせない話し口調がそうさせているのかもしれない。
ふと、本棚の中の一冊の本に視線が止まる。
ーー『嵐が丘』
私たちが演じた劇の原作となった小説だ。姉に勧められて読んだ中で、私が一番好きな作品だった。キャサリンに感情移入出来たのは、元々原作を読み込んでいたことと、私がキャサリンに似た激しい気質を持っていたからかもしれない。
「嵐が丘、あなたも好きなの?」
仲間ができたとばかりに喜び勇んでした質問に、シエルは小さく首を傾げた。
「好きってほどでもないけど、学校の先生に勧められて読んでみたって感じかな」
「今日の劇、観にこなかったの?」
「行きたかったんだけど、学内コンサートのリハーサルがあって行けなかったの」
「そう……」
「嵐が丘って、クレイジーな人ばかり出てくる小説よね」
あっさりと言ってのけたシエルの顔を、まじまじと見る。視線の意味を図りかねているのか、彼女は小首を傾げて私を見返した。
「嵐が丘は、クレイジーの一言だけでは片付けられないくらい奥の深い作品なの!!」
その後私は『嵐が丘』に出てくる登場人物たちの本質や物語の構造、時代背景、作者であるエミリー・ブロンテの姉のシャーロット・ブロンテの代表作である『ジェーン・エア』よりも優れた作品であると言われていることなどについて、30分ほど滔々と熱弁した。
黙って耳を傾けていたシエルは、話し終えた私に向かって言った。
「あなた、嵐が丘オタクね」
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