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僕の名は、西 巧。
貧しい母子家庭で育った。
僕が2歳の時、父は釣りに出かけ過って車ごと海に転落し亡くなったのだと母から聞いていた。
だが、中学に入学した春、親戚のおばさん達から、父は多分、自殺したのだろうと聞かされた。
父は大酒飲みで、その上、ギャンブルに多額の金を注ぎ込み、会社の金にまで手をつけて、いよいよ追い詰められ死ぬより他なかったのだと。
「世間の人は皆、その事を知っている。おまえは余程、真面目に生きなくちゃ誰にも信用してもらえない」
「おまえのために、親戚が今までどれだけ金を使ってきたか考えたことがあるか? 返してもらえるとは思ってないが、せめて普通に人さまに迷惑かけずに生きてほしい」
などと説教され僕は大きなショックを受けた。
母は近くの24時間スーパーで清掃の仕事をしていたけれど生活は苦しかった。
僕は修学旅行とか中学校の制服代等、折に触れいろいろな経費を、母が親戚から応援してもらっていることは知っていた。
だから親戚の人々に対し、僕は幼い頃から常に気を遣って生きてきた。
僕は、大学に行きたかった。が、できるだけ親戚に頼ることは避けたかった。
自分だって頑張っているんだという気構えを親戚や世間に示したい意地もあり、中学に入ってすぐ新聞配達のバイトを始めた。
母は、バイトなんかしなくていいから自分の好きな事に時間を使いなさいと言ってくれたけど、そんな母の現実が非常に苦しい事は知っていた。
新聞配達で稼いだ金で、ノートや靴など身の回りの消耗品くらいは揃えることができたし、たまには母の好きな果物を買うこともできた。
僕が買って帰ったスイカやパイナップルを、母が嬉しそうに切り分けている顔を見るだけで、僕もまた幸せなひと時を味わうことができたんだ。
僕は部活に入らず、脇目もふらず勉強した。
自分の力で世間や親戚を見返してやりたい気持ちだった。
睡眠時間を削りバイトと勉強に明け暮れる日々の中、僕を支えていたのは母の存在だった。
だが母は、僕のために無理して働き過ぎていた。
土日祝日も休まず仕事に出ていたし、スーパーの仕事を終えてから、介護施設で夜勤の仕事もしていた。
「おまえを大学に行かせるためだと思えば母ちゃんは辛くない。おまえはバイトなんかしなくていいから好きなだけ勉強しなさい」
そんな健気な母を一年でも早く楽させてやりたかった。
僕ら親子は本当に体力の限界ギリギリまで頑張り続けた。
その甲斐あって僕は、家から電車で通える地方の国立大学医学部に現役で合格した。
これでやっと親戚や世間に対し、少しは堂々と顔向けできるような気がした。
だが、すべてはこれからだ。
僕は気を抜かず奨学金をもらいながら、家庭教師のバイトをして自力で学んでいた。
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