55.叱られる前の大型犬みたい

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55.叱られる前の大型犬みたい

 目が覚めて真っ先に要求したのは、温石の交換。次に誘拐犯の生存確認だった。というのも、シルが勝手に処分してたら困るのよ。一番大変な時に邪魔して、痛みを増幅してくれたんだもの。お礼はじっくり、本人が「もう死にたいです」と懇願するまで甚振って返さなくちゃ。  温石はすぐに用意され、やや熱いくらいの石で背中とお腹を温めることが出来た。問題は誘拐犯よ。すでに数が減ってるってどういうこと? 「尋問に失敗したと聞いております」  公爵家の戦闘系侍女マノンの報告に、私は溜め息を吐いた。 「わかったわ。シルを……」  呼んで、そう呟く前に扉が開いた。ノックはない。勢いよく飛び込んでベッド脇に膝を突いた夫は、完全に大型犬だった。叱られる寸前の……ね。 「すまない、レティ。君を連れ去られてしまった上、犯人を一人死なせた。レティとの約束を守れていない」  自白したのは偉いわ。重怠い手を伸ばし、よしよしと頭を撫でた。黒髪がさらさらと柔らかい。意外にも猫っ毛だけど、私より髪質が細くて柔らかい気がした。ちょっと腹立つわね。将来、禿げたり……公爵様はふさふさしてるから、きっと大丈夫ね。義父の豊かな髪を思い出し、心配をひとつ消した。 「……分かったことは?」 「第二王子エルネストの新しい側近、ラピヨン子爵の息子が暴走した結果だった」  物語の都合上、もっとも攻略しやすい第二王子は頭が悪い。いえ、軽いのね。考え方が単純ですぐに周囲に影響を受ける。だからヒロインのクリステルが現れたら、単純に惚れ込んで追い回した。一緒になって愚行に走るはずの側近達は、今回すべて逃げている。  公爵家嫡男シルヴァン、王弟の息子で神官バスチアン、宰相の息子ウスターシュ、未来の騎士団長オーレリアン。エルネスト王子の側近がすべて、違う行動を取っている。本人達がよほどしっかりしているか、もしくはシル同様に小説の知識や記憶があるのだろう。  正妃の実家ジリベール侯爵家が関わっていないことに、シルは不機嫌だった。この際面倒な家は潰してしまえと思っていたみたい。物騒な人ね。ラピヨン子爵は聞いたことがなかった。ヒロインのクリステルの実家はユニフェ男爵家だし。  小説やゲームで見た記憶のない家名だった。気の毒なことだわ。騒動を起こした罰で家が断絶になるのは確定だもの。第二王子を王位につけようとしても、第一王子派が許さない。シルを筆頭に物騒な連中が名を連ねていた。そういえば、攻略対象が全員第一王子派に属したのよね。  当初のシナリオからかけ離れ過ぎて、完全に別物だ。現実ってこんなものよ。よほどの強制力と介入がなければ、貴族らしい選択によって合理的に流れていく。真実の愛を叫んで、家同士の政略結婚を破棄してまで身勝手に振舞う貴族がいれば、排斥されるのがオチだった。
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