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服を着て立ち上がる宗隆の方を、僕は振り向くことができなかった。
布団にくるまり、背を向けて、疲れて眠ったふりをした。
顔を見ればきっと、やっぱり行かないでと縋ってしまう。
行かないで、どうして、と責めて、泣き喚いてしまう。
「……」
宗隆が僕の方を向いている気配がする。言葉は何もない。
そうして、やがて。
ゆっくりと宗隆が部屋を出ていく気配がした。
「……っ」
今すぐ追いかけて、行かないでって言いたい衝動が僕を襲う。これでいいのかという後悔が僕を突き動かす。
背中に縋り付いて、やっぱり別れたくないって、宗隆が好きだって泣きたい。
……でも、僕の身体は動かなかった。
朝までベッドでつまらない話をして笑い転げた記憶や、澪人って僕を呼ぶ声。
初めて宗隆に出逢った日や、告白をしたあの日。
一緒に食べたご飯や、手を繋いで見上げた空。
ネコが付いた鍵を揺らして、「お前にそっくり」って笑う顔。
宗隆との時間が一気に頭を駆け巡って、動けなかった。
それは全部、幸せだった宗隆との記憶で━━……
バタン、と玄関の扉が閉まる音がする。
「宗隆……」
ガチャン、と外から鍵が閉まる音。
「宗隆……っ」
カタン、とドアポストに硬いものが落ちる音がして━━ 後はもう涙で何も見えない。
玄関の向こうに遠ざかる宗隆の後ろ姿が浮かぶ。
振り返らない背中。
ポストの中にはきっと主を失った白いネコが、鍵と一緒にそこにいる。
もう帰ってくることのない彼の名前を呼び、子どものように声を上げて、僕は泣いた。独りぼっちの部屋で泣き続けた。悲しい悲しい涙は、どれだけ溢れても流れても、止まることはなかった。
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