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その日、仕事が休みだった僕はわざわざ宗隆が仕事の時間を見計らって『今日行くね』とメッセージを送った。
何か見られたくないものがあっても今更隠すことができない時間を狙って、わざとそうした。
そんな自分が嫌で仕方なくても、止められなかった。
スーパーで夕食の買い出しをして、昼過ぎに宗隆の部屋を訪れた。
かつては幸せで仕方なかった、宗隆の部屋の鍵を開ける瞬間。
今は小さな恐怖すら感じながら、僕は鍵を差し込む。変わらず間抜けな表情をした黒ネコがゆらゆらと揺れていた。
カチャ、と冷たく無機質な音が響いて鍵が開く。
カーテンが閉められた部屋は、昼間だというのにほの暗くて、滞留している淀んだ空気の中に、微かに宗隆の香りがした。
玄関に靴はない。宗隆の靴も、誰か知らない女物の靴も。そんなことに酷く安堵している自分が悲しかった。
廊下を抜け、リビングに入ってカーテンを開ければ、僕の心とは正反対の眩しい昼の光が部屋の中を照らした。ついでに寝室も覗く。今朝脱いだばかりなのであろう、宗隆の部屋着がベッドの上に無造作に散らばっていて、僕はそっとそれを手にした。
宗隆の濃い匂いがする。
そんな些細なことにすら泣けてくる。 しんと静まり返った部屋は、僕の知らない場所のように冷たく思えた。
涙を拭って立ち上がると、僕は再びリビングへと向かう。ぐるり、と部屋中を眺めても、僕が心配しているような痕跡はとりあえず何もない。
……何をしてるんだろう、僕は。
安心するどころか反対に落ち込んで来るだけだ。相手を信用することができない付き合いの、何が幸せなのだろう?
浮かぶのは『末期症状』という言葉。それを僕は必死に打ち消した。末期なんかじゃない、僕と宗隆はそんなんじゃない。そう言い聞かせれば言い聞かすほど湧いてくる不安に目を背けた。
深い溜め息を吐いたその時、テーブルの上に宗隆が忘れていった携帯電話が置いてあることに気づいた。
「……」
テーブルの上の携帯電話は、着信があったことを告げるランプが小さくチカチカと光っている。
違う、宗隆を信じてない訳じゃない。 ただ僕は安心したいだけなんだ。
あまり多くを喋らない、宗隆の気持ちを知れるものなら何だっていい。
それを目にして、大丈夫だって信じたいだけなんだ。
少しの罪悪感と、不安に追い詰められた心。
それらに背中を押されるように宗隆の携帯を手にした僕は、震える指先でロック画面に数字を打ち込んでいった。
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