『猫に合鍵』

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ロック解除のための暗証番号は、宗隆の誕生日を少しだけもじったもの。 いつも近くで宗隆を見ていたから、その数字をはっきりと覚えていた。 六桁の数字を入れ終わると、携帯はあっさりと待ち受け画面へと変わる。 着信履歴、メール、保存されている画像。息を詰めながらそれらを覗いていった。 ……探る手が止まったのは、メッセージアプリを開いた時だった。僕が朝入れた未読のメッセージの直ぐ下。他の友達に紛れ、トークルームの上の方にあったその名前に僕の鼓動が大きく跳ねた。 「……これ……」 激しく波打つ心臓が痛い。 画面をなぞる指先が震える。 その名前を、忘れるわけなんてなかった。 ……宗隆の、元彼女。僕と付き合う前に、五年も付き合っていたあの人だ。 「なんで……」 なんで、なんて言うまでもないことは分かりたくないくらい分かっていた。 日付は、一昨日。『元気?』そんな彼女からのメッセージで始まったやり取りは、スクロールを何回もしなければならないくらい、長々と続いていた。 メッセージアプリの友達かも? のところに、宗隆の名前が出ていたから連絡してみたこと。今は有名企業の受付をしていること。宗隆はメッセージの返信も無口な方だから、主に彼女からの送信で他愛ない近況方向なんかの会話がだらだらと続く。 『宗くんは今付き合ってる人いるの?』 会話の最後はそんな質問だった。 宗隆の返信はなくて、焦れたのかその後に彼女から通話が掛かっていた。 どんな会話をしたのだろう。通話時間は二十分を越えていた。 その下に彼女からの最後の送信。 『今日はありがとう。十四日、楽しみ!』 宗隆はよくわからないスタンプだけを返していた。 ……十四日は今週の日曜日だ。あと数日のその日に何があるのか、悪い想像なんていくらでも出来た。 携帯を持つ手からずるずると力が抜ける。同じように全身から力が抜けて、その場に座り込んだ。 涙すら出ない。 でも、まだどこかで宗隆を信じたい気持ちがあった。 携帯を元通りの位置に戻す。 暫く放心した後、僕は夕飯を作り始めた。出来上がったたくさんのおかずをタッパーに詰めて、冷蔵庫に入れた。宗隆が帰る頃に合わせて、炊飯器のタイマーも仕掛けた。 『仕事で急用ができたから、帰るね。ご飯作っといたから、良かったら食べて』 打ったメッセージは、目の前の携帯に届いた。気の抜けた着信音が鳴る。 宗隆の前で、笑って一緒にご飯を食べられる度胸なんて、流石に無かった。 あの日、宗隆から返ってきた返事は『悪いな』、それだけだった。僕も、それ以上何も訊けなかった。 もやもやした気持ちを抱えながら仕事に向かう。むしろ、こんな時には何かすることがあるほうがありがたかった。 余計なことを考えてしまわないように、いつも以上に施術に集中した。 派手すぎないラインをあしらったフレンチネイル。好きなキャラクターやモチーフを元にしたカラフルなネイル。ストーンやビジューをふんだんに使ったゴージャスなネイル━━ 「可愛いー!!」 そう言って白くて細い指を光に翳し、彼女達はいつも嬉しそうに笑っている。 ネイルがよく似合う、白くてすべすべした綺麗な手には、男の僕なんて到底敵わない。 宗隆だって、きっとそっちの方が━━……。 僕は可愛さのかけらもない自分の大きな掌をじっと眺めては、溜め息を吐く。 言い様のない悲しみが胸を占めて、目を反らすことが出来ない現実がもうそこまで迫っていることを、僕に教えているような気がした。
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