『猫に合鍵』

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「宗隆、水だよ」 「ん……」 渡した水を二、三口に含むと、宗隆は再びトイレの壁に身体を預けてぐったりと俯いてしまった。大学の時から変わらない、さらさらの猫毛がその表情を隠す。 触れたくなる気持ちを押し殺した。 それでも、行き場のない想いはいつもどこか辿り着く場所を探している。 壁にもたれ掛かった宗隆からは、小さく寝息のような呼吸の音が聞こえていた。 「……僕は、宗隆のことが好きだよ……」 ずっとずっとずっと。 囚われて、膨らんで、どこへも行けやしないんだよ。 口にしただけでじんわりと滲んでしまった涙を拭うと、僕はお風呂でも沸かそうかとグラスを持ち、立ち上がった。 と、その手を突然大きな掌に掴まれ、僕は大きくバランスを崩す。手に持ったままのグラスから溢れた水が、トイレの床を濡らしていた。 「……っ、宗隆……?」 寝ていると思った宗隆が、僕の手を握ったまま僕をじっと見つめていた。 今の、聞かれただろうか。 握られた手首が熱い。 ……胸が熱い。 「……」 宗隆は何も言わない。僕は宗隆を見ることが出来ない。 宗隆に想いを伝える場面なら、今までだって何度も何度も妄想してきた。罪悪感を抱きながらも、もし宗隆も僕を想ってくれるなら……と密かに願っていたりした。 でも、実際に伝えられるはずなんてないことはちゃんと分かっていた。 ……今確かに、宗隆の目には僕が映っている。 ショートしそうな頭の中で、俯いた先にある倒れたグラスから溢れた水が作る海を見ていた。 「……聞こえた?今の……」 やっとのことで絞り出した声が、狭いトイレの中に頼りなく響いた。 「……」 何も言わない宗隆の沈黙は、肯定の意なのだろう。 あぁ、これで僕の六年は終わってしまうのか。淋しい気持ちとどこか早く解放されたいという気持ちが、混じり合って溢れてくる。 宗隆にはきっともう会えなくなる。友達がゲイだと言うことを最低限許容できても、その想いが自分に向けられることを許容できる人なんてきっといない。僕の想いを打ち明けることは、宗隆を失うこととイコールなのだと知っていたつもりだったのに。 「……僕、宗隆のことが好きなんだ。友達とかじゃなくて、恋愛として。ずっとずっと、好きだったんだ」 僕の言葉は、告白にしてはあまりに頼りなく、淋しく響いていた。まるで別れの言葉のようだと、そう思った。 「ずっとって、いつから?」 「……出逢った頃から」 長い間抱えてきた割には、随分冷静に言葉が溢れるもんだな、なんてそんなことを思った。 想像してたよりもずっと、言葉は真っ直ぐ溢れていく。宗隆に掴まれたままの手が、震えていた。
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