サークル内恋愛が解禁されたから、ロックしようぜ!

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 秋の学園祭が近づいてきた十月末、サークル内恋愛が解禁になった。  紅葉に色付く東山を左手に見て、東大路通りを南下する。  丸太町通りを超えて、通り過ぎた橋の上に、君と先輩がいた。 「――沢本、どうしたんだよ? 行くぜ?」 「ん、おぅ」  横断歩道。赤信号から青信号に変わった光が灯る夕方の疎水沿い。  ギターの宮里ケンゴがママチャリから右足を降ろして振り返った。  生返事を返す僕の目は背中にあって、先輩と彼女のことを見ている。  君は『アシナガバンド』という名前のバンドでギターヴォーカルをやっている。 「なんだよ、その名前」って思ったりもする。  でも、先輩が作ったそのバンドは君を輝かせていた。  京都の夜空に光る金平糖みたいに小粒な星なんかじゃない。  ライブハウスのステージ上でも、四条木屋町のストリートの上でも、鶴屋吉信の栗きんとんくらい魅力的に、絵里は輝いていた。  ただ『アシナガバンド』という名前は卑猥だと思う。  だってあれだろ。あしなが「おじさん」だろ? 少女を見守る年上の男。  その包容力は、立場も財力も無い、僕ら弱小人類にとって、強大すぎた。  僕にとって「あしながおじさん」というイメージは、愛人を囲う富豪の印象に一致する。 「――あ、絵里じゃん。……と、ギブソン先輩?」 「……あぁ」  自転車を押して、宮里ケンゴが戻ってきた。  痺れを切らしたというわけではないようだ。  立ち止まる僕の様子に『何かあるな?』と思ったのだろう。野次馬根性。  西の空に太陽はまだあって、東から闇夜はまだ上がってこない。  三条通りを東に行くとインクラインと浄水場とウェスティン都ホテルがある蹴上に出る。僕らの夜は、そこからやってきて、東大路通りを超えて、丸太町通りを抜けて京都御苑を覆い、二条城を攻め落としたら、映画村に暗幕を落として、渡月橋を渡って嵐山を夜に染める。  大学生になって憧れの京都にやってきた僕は、半年が過ぎて闇夜に包まれる。  つまり、僕の大学生活は闇落ちしているのだ。  希望を持って京都に出てきた高校生は、恋に敗れて漆黒に染まる。 「――なんだ、沢本。まだ絵里のこと諦めてないのかよ?」 「ちょっとケンゴ。いきなり胸元にアーミーナイフ突き立てるみたいなムーブやめてくれる? サウザーでも死んでるぞ」 「心臓が左右逆でもか? ――って、お前、令和の時代で『北斗の拳』ネタの即時反応できるのなんて、俺くらいだぞ。ありがたく思えよ」 「アリガタヤァー」  語尾を伸ばして息を吐いた。  白い息と共に放熱すると、両肩からブルッと震えた。  まだそんなに寒くないと思っていたけれど、秋は深まりだしているみたいだ。 「――寒ぃ」 「心がか? 体がか?」 「両方」 「だろーな」  ほんの二十メートル程先に立つ君は、僕の存在に気づかない。  四月の桜の季節。青空に伸びたハイトーンは、僕に教えた。  京都という場所が、育ってきた田舎とまるで違う世界なんだと。  だから胸は高鳴ったし、夢は膨らんだ。  高校時代から趣味で鳴らしていたベースを本気でやろうと思った。  二回目に参加した新歓イベントで、僕は入会届にサインした。  陽光の下、君は小さな体にアコースティックギターを背負って現れた。  ベンチに腰掛けると、絵里はギターを膝に載せてカーペンターズを歌った。  春というのは人の心を浮かれさせる。  桜というあの卑猥なピンク色が、それをさらに加速しているのは間違いない。  規律と理不尽に塗れた田舎の自称進学校から、出てきた男子学生ならば尚更だ。  親元を離れて、新しい街で一人暮らしを始めた僕が解放感を覚えないはずがない。  もしそれを感じないのなら、それはきっと「解放感」の方に問題がある。  ――歌お〜、歌を歌おう〜♪  和訳するとそんな歌詞になるだろう、なんてことのない歌。  でも彼女の歌うそのメロディは、胸の中の春風を吹き込んだ。  そして僕のことを「どうしようもなく」した。  嗚呼、歌を歌おう! 僕はそんな君の歌声に合うルート音をかき鳴らしたい。  ただベースの演奏で君の歌で支えられれば、それでいいと思った。 「――そもそもベースは地味なんだよ」 「ケンゴ。――人の心を読むな」 「でも俺は好きだぜ、お前のベース」 「男に好かれてもなぁ」 「チェンソーマンのOPのスラップベースかっけぇよな」 「米津玄師は別世界だろ」 「俺はプレイヤーのこと言ってんの」 「僕はYouTubeの向こう側よりも、この盆地の中がいい」  京都の街は嫌いじゃない。  暮らし始めて半年になる。  死ぬほど暑い夏も、自転車で走りにくい道も、背の低い建物も、運賃の高い地下鉄も、飛び石のある鴨川も、テレビショッピングしかやっていないKBS京都も、夏に燃える五山の送り火も、お寺で目にした彼岸花も、そこかしこにある喫茶店も、君が歌ったトップ・オブ・ザ・ワールドも、――嫌いじゃない。 「絵里に、声、かけねーの?」 「――特に用事もないしな」 「お前ら、もう、離れるのかよ」 「もともと、くっついていた訳じゃないしな」 「バンドは組んでたじゃん。俺は嫌いじゃなかったぜ。がむしゃらだったし。『リヴァーピクチャー』の曲」 「やめれー。アーミーナイフがクリティカルヒットかましとるよ」  沢本の沢が川だからリヴァー。  絵里の絵をとってピクチャー。  あと三人集めて、一年生五人で作ったバンド。  バンマス――リーダーは僕だった。  大学生になって初めてのバンド、初めてのライブ、初めての打ち上げ、初めてのキス。 「なんで解散したんだっけ?」 「――音楽性の不一致?」 「なんだよ、プロの解散理由かよ」 「まぁ、いろいろあるよな」  別々の人間が別々の楽器を持って五人集まれば、いろいろあるさ。  演奏が噛み合う瞬間なんて、初心者の間にはそうそう無い。  噛み合った演奏が出来たときは、その珍しさに嬉しくて泣きそうになるくらいだ。  大体は「あー、うーん」って感じ。  だからフラストレーションが溜まる。  それを乗り越えられる絆が僕らには無かった。  音楽性の一致が無かった。それだけだ。  『リヴァーピクチャー』は最後まで一つになれなかった。  ――君と一つになれなかった。 「サークル内恋愛禁止令って、何だったんだろうな」 「さぁ。そもそも効力あったのかな?」 「法的には、まぁ、無理なんだろな。知らんけど」  夏の終りに僕らのバンドは解散した。  半年持たなかったわけだ。  この手の音楽サークルの中で、バンドメンバーの離合集散はよくあること。  そんでもって、それをきっかけにして退会したり、人間関係にひびが入ったり。  これまで半年、このサークルにいて、そういうことがわかってきた。  九月の末に、宮里ケンゴに声を掛けられて、僕は彼のバンドに加入した。  本当は絵里ともう一度バンドを組みたかったのだけれど。  ケンゴのバンドにはもう別の女性ヴォーカルがいた。  絵里とは違うタイプだけど、彼女も一目置かれている女性ヴォーカルだ。  ヴォイトレにも通っていて、真面目で、本気で、情熱的な女の子。  でもスタジオで彼女の歌声を聴くたびに思うのだ。 「この曲、絵里ならどんな声で歌うんだろうな」って。  秋風が吹く。僕は自転車のハンドルグリップを強く握った。 「声掛けないなら、行くか? スタジオ予約時間はじまっちまう」 「あぁ、そうだな」  自転車のペダルに足を乗せる。  最後に首を曲げて、振り向いた。  橋の上、夕焼けの下、京都の街の中。  二十メートル先の君と目があった。  ――歌お〜、歌を歌おう〜♪  記憶の中で君の声がした。  二十メートル先で、絵里の耳元に先輩が唇を寄せた。  その女の腰を、男の左腕で引き寄せる。  彼女は恥ずかしそうに肩を窄めた。  嗚呼、歌を歌おう! スラップベースをかき鳴らそう!  米津玄師がなんだ! チェンソーマンがなんだ!  あしながおじさんがなんだ! 田舎生まれの自称進学校出身者童貞がなんだ!  ――それは僕だ!! 「――いくか、沢本」 「そうだな。お待たせ」  いつのまにか赤信号になっていた光が、また青信号に変わる。  いつかまた君の声を僕のベースの上で鳴らしたい。  いつかまた脳内に響く僕の音楽を君と響かせたい。  でも今はその時じゃない。  でも今は君が僕といない。  だったらあいつと歌うがいいさ。  今はあいつの上で歌うがいいさ。  一ヶ月前、血の色みたいに咲く彼岸花の前で、宮里ケンゴは言った。 『なぁ、沢本。――ロックしようぜ!』  目の前で自転車を漕ぎ出したギタリストの背中を眺める。  フェンダーのギターが入った黒いケースが真っ直ぐ伸びる。  先週、「サークル内恋愛禁止令」が解除され、サークル恋愛が解禁になった。  それからすぐにギブソン先輩と絵里が付き合い始めたという噂が広まった。 「なぁ、ケンゴ! ――ロックしようぜ!」 「あぁ? 何? 聞こえないんだけど?」  僕は走りにくい京都の歩道で、自転車のペダルを踏み込む。  ママチャリが風を切り、それが東大路通りに秋風を作る。 「だから、絵里! ――いつかまた、ロックしようぜ!」  闇夜は蹴上からやってくる。  水は琵琶湖疎水からやってくる。  歌は胸の中から湧き出してくる。  サークル内恋愛が解禁になった。  僕らはまた一つ、大人になった。 『――歌お〜、歌を歌おう〜♪』  秋空の下で、君の声が聞こえた。
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