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外面如菩薩内心如夜叉という言葉通り女という者は怖いものだ、と男は少年の頃から鬼のように強く思っていた。女子生徒に精神的に傷つけられたことが間々あって、それらがトラウマとなっていたのだ。
彼は中学に進学してからも女子生徒を避け、高校は男子校を選び、大学は事実上、恋愛禁止となっている防衛大学校の航空宇宙工学科に進み、卒業後、晴れて自衛隊のパイロットになった。
しかし、或る日の飛行訓練中、きりもみ状態になり、更には水平きりもみ状態になってコントロール不能となったので止むを得ず脱出装置を作動させ、ロケットモーターによって座席ごと機外に射出された。
その際、人間の耐えうる限界を超えた強烈な加速Gがかかり男は気絶してしまった。
意識を取り戻し、覚醒した時、彼は窓のない真っ暗な部屋で布団に寝かされていた。身なりは迷彩服ではなく長襦袢それも女ものに着替えさせられていた。
彼は肌触りのみならず何やら艶めかしい匂いに違和感を覚えて思わず掛け布団を払いのけ、上体を起こした。丁度その時、襖が開いて、ぱっと光が差した。
彼はぎくっとして、そっちへ振り向くと、艶やかな赤い長襦袢姿の人影が目に飛び込んで来た。
ほっそりとしてなよっとした、その姿は紛れもなくうら若き女であった。
「漸うお気づきになったのね、ご気分はど~お?」
何とも色っぽい声色に男はときめくのを禁じ得ず、目も綾なと言いたくなる程の輝かしい美しさにすっかり目が冴えてしまった。
柳腰まで垂れた緑の黒髪、透き通るような白い肌、色香を漂わす脂粉、それらを電光石火の如く嗅ぎ取ったのだ。
男が夢現の裡に息を呑んだ儘、放心して答えられないでいると、女は彼の寝床の傍まで来て女ずわりするなり彼にしなだれかかって念を押した。
「ねえ、ご気分はど~お?」
咫尺の間に迫る花顔。秋波を送る切れ長の目。誘惑されているのは火を見るよりも明らかだった。
いきなり、而もこんな美人に・・・生まれてこの方、こんな経験は無論、初めてだった男は、嬉しいよりびっくり、それも喉から心臓が飛び出しそうな位、びっくりして早鐘を打った。
「ふふ、ねえ、お口がないの?」
その嬲り者にするような口吻がまた煽情的で男は興奮しながらも甞められてはいけないという気持ちが働いて鬼のように重くなっていた口を開いた。
「あ、あの、ここは・・・」
「心配なさらなくてもいいのよ。あたし、独りで住んでるんですもの。ふふ」
「あ、あの、何で僕は・・・」
「貴方様がね、お寝んねなさった儘、木の枝にぶら下がってらっしゃったから、あたし、助けて差し上げたの」
そう言えば・・・彼は朧気な記憶を辿り、コントロール不能となって戦闘機から脱出して、それからは…恐らくこの近辺の木に落ちてパラシュートごと引っ掛かった訳か・・・とそれだけのあらましに気づくと、いつも通り日本領海内を飛行してたんだからここは日本の島なんだろうと推定し、女を日本人と認めながら少し気分が落ち着いた。
「ねえ、あたしこそ、疑念を抱きまするゆえ、お聞きしたいんですけれど、貴方様は何処からどう遊ばしておいでになって、あんな具合になられたのかしら?魔訶不思議だわ」
「あの、僕は飛行機から脱出してパラシュートでここらに落ちて来た訳で・・・」
「あら、何をおっしゃってるの?」
「いや、だから僕は自衛隊に所属していて訓練中にトラブって・・・」
「あらまあ!何のことやらさっぱり分かりませんわ・・・」女は小首をかしげ暫し考え、「貴方様、失礼ながら察しまする所、何か罪を犯しになって島流しにされたんでしょう?そうよ、図星でございましょう、だから気絶するような仕打ちを受け、あんな酷い恰好にされ、吊るされておしまいになったのね、だから本当のことをおっしゃりたくなくって訳の分からないことをおっしゃって煙に巻いていらっしゃるのね」ここで思い出したように、「あっ、でも、どうして、ここへ島流しに、まあ、そんなことはどうでもいいわ、不思議なご縁でこうなりました上は、ふふ、貴方様は男でいらっしゃるんですもの、ふふ、こんな有難いことはないわ、ふふ」
曰くありげに嬌笑する女に男は何やらぞくぞくっとするのだった。
何はともあれ、この日から男の新生活が始まった。何故か外出を女によって禁じられ、それさえ守れば、あたしは貴方様の物、そして貴方様はあたしの物、そしてコシヒカリから作った美味しいお酒も海の幸山の幸をふんだんに使った美味しい料理も一生味あわせて差し上げますわと女は言うのだ。
働かなくても一生、美女と過ごしながら食っていける。全く以て夢のような話だが、お出かけしては駄目というのはどういう訳なのかと男は当然ながら訊いてみた。
すると、ここは鬼ヶ島なんですものと女は真顔で答え、女で綺麗だからとあたしには鬼どもは優しいけれど、貴方様は男でいらっしゃいますから、どんな乱暴な事をされるか分かったものじゃありませんものと言うのだった。
鬼ヶ島?おとぎ話じゃあるまいし・・・当然ながら男は子供だましにも程があると訝しくなり、腑に落ちなかったが、女の家を始め女の物腰と言い、女の着物と言い、女の装身具と言い、女の家具と言い、女の調度品と言い、女の持ち物と言い、何もかもおとぎ話に出て来そうな古めかしい物ばかりだし、飽くまでも女がお出かけしたが最後、きっと貴方様はお陀仏になってしまわれますわと言い張り、けれども、ずっとお出かけなさらないなら、あたしが貴方様に一生好い思いをさせて差し上げますわと言うのでタブーを破らずにいた。
確かに毎日、食欲も性欲も十二分に満たすことが出来たが、食材を調達する為などに女が出かけている間、当然ながら手持ち無沙汰になる。窓から外を眺めては鬼に見つかるからそうもしてはならないと女から禁じられ、極力、窓のない部屋で大人しく過ごすようにと言われていたが、そんなことは守り通せるものではない。玄関の引き戸はしんばり棒で固定してあるだけだから出ようと思えば外へだって出られる。
で、或る日も男は女の留守中、女の帰りを今や遅しと持ち焦がれながら窓から外を眺めていた。窓も現代の物と違ってガラスが張ってないし開閉式じゃないから木の角材だけで出来た格子の間から景色を直接覗くのである。女の家は丘の上にあるらしく丘の麓にある森林の向こうに広がる海が望める。女は海女になって鮑も獲れば海鼠も獲り、真珠だって獲って来る。是非とも海女になった女を見てみたくなった男は、用心しながら外へ出た。海岸へ出るべく丘を降り、森林を横切る間、獣は見れど鬼なぞ見ることはなかった。その代わり木の実を採取する人や猟をする人を遠目に見た。そして海岸についてみると、白雲光る青い空と白波光る青い海が美しい白砂青松の景観を一望でき、なんて美しいんだと思っていると、更に美しいことに一糸纏わぬ女たちが豊漁を喜び合う光景を遠目に眺めることが出来て驚いた。更に驚くことに男に気づいた女たちは、皆、一斉に恥じらうどころか喜び勇んで男の下にやって来た。海水のしずくが柔肌からぽたぽたと垂れ、正に水も滴るいい女ばかりが綺羅星の如く居並んだ。
で、昇天する勢いで浮かれに浮かれつつ男は話してみると、ここが女護島と知るに至り、皆が皆、自分を欲しがるので、あの女は自分を独り占め出来なくなるから外出を禁じていたんだなと悟り、何が鬼ヶ島だよ、ここは男のパラダイスじゃないかとこの上なく興奮しながら喜びに沸き立ち、男の誰もが女護島に一旦、足を踏み入れると、容易に帰れなくなるという伝説も頷けるのだった。
斯くして女を恐れ避けていた男が女色に染まることになるとはね、美女を見つけ出すのが難儀な世の中から美女だらけの世の中に男一匹乗り込み、引く手あまたになり、引っ張りダコになったのだから当然と言えば当然だが、彼に悋気を起こして鬼のように角を出した、あの女を恐れ避けないではなかった。
それにしても何の拍子に男は女護島なぞという時代錯誤に陥りそうな所へ行くことになったのだろう。何百年か前に日本領海内に実際に女護島があって人間の耐えうる限界を超えた強烈な加速Gがかかった時、時空間的な相互作用が働いて女護島(パラレルワールド)に移動したという事か?ま、そんなところだろう。それだけの説明では読者は納得出来ないかもしれないが、そもそもSFというものは、筋道立てて論理立てて説明できるものではないですよ。
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