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休暇をよこせ下さい
リュカエルは医務室を襲撃し、おやつを詰まらせヘロヘロになった大神官から無理やり押印をもぎ取った。その足でぺリースを翻し、王への急襲を仕掛けた。押し入った豪奢で気品高い謁見室の設えに、この国で最も神の恩寵を受けているのは王家の有様に眉根を寄せた。
(また無駄な装飾を増えたようだな……)
靴音高く玉座に歩を進めながら、無表情に富める権力を誇る空間に軽蔑が沸き立つ内心を隠した。かつて神官を目指したリュカエルには、何もかもが無駄に見えた。自分が欲しいものはささやかでたった一つ。
諦めの悪いアイギスが必死に騒ぐのを、リュカエルは慣れた手つきで強く握り締め脅しつけてやる。堪えるように小さく振動するだけになったことに満足しながら、リュカエルは玉座の前で立ち止まった。会釈ですらない黙礼をし玉座に座す王に顔を上げる。
無礼な態度にピクリと眉を引きつらせても、王家と同等の権威を持つ三大公爵家のエリスコア家のリュカエルの態度を、王は咎めることもできなかった。
「あー……リュカエル卿、息災か?」
「いいえ」
「…………」
被せ気味に返ってきた返事に、王は黙り込んだ。謁見室の空気が重くなる。王がひじ掛けの上で拳を握った。
「気鬱はひどくなる一方です」
「…………」
リュカエルは聞かれてもいないのに、敬意の欠片もない淡々とした口調で言い放つ。王の握った拳に血管が浮き上がった。言いたいことは分かっていた。先月も同じ理由で、二週間の休暇をもぎ取っていったのだから。
「……大変、だな」
「ええ、本当に」
「…………」
ため息交じりに返事を返しリュカエルはそのまま黙った。王は必死に無言の圧に抵抗する。「力」の権能を宿すエリスコア家。地上における神の庇護の代行者のリュカエルは国防の要。頻繁に王都を離れることは容認できない。チラリと盗み見たリュカエルは、いつものように微塵も譲歩の気配がなかった。
「…………」
「…………」
重く沈む沈黙に挫けそうな心を叱咤して、王は必死に耐えた。三大公爵家の中で王の胃を痛めつけるのは、いつだってエリスコア家だ。その特有の銀色の髪も、青味の強い紫の瞳も非常に美しく腹立たしい。手のかからない他家と違って、エリスコア家だけがいつだって王の胃の限界を試してくる。リュカエルに渡された、真偽の怪しい診断書を握り締め王は覚悟を決めた。
「……休暇は許可しよう。だが王都からは出ないで欲しい」
王は詰めていた息を吐き出し、拳を緩めると妥協案を提示する。ぎりぎりできる譲歩を絞り出した王に、リュカエルは呆れたように即答した。
「無理ですね」
王にリュカエルは物を知らない愚か者に、当然の権利を諭すように口を開いた。
「王都に嫌気がさしたための気鬱の病ですよ? 王都を出なければ治るものも治りません」
「…………」
何こいつ。だいぶ無礼。そして我儘。本当は休暇も困るのだ。何とか絞り出した妥協案すら、一蹴するリュカエルに王は歯を食いしばる。基本的にエリスコア家は代々厄介だが、目の前のリュカエルに比べれば先代はまだマシだった。
もともと扱いづらい上に生い立ちが特殊なリュカエルは、歴代エリスコアでも特異な存在だった。エリスコアガチャで一番の外れ。ハズレを引かされた王は、悲し気に俯いた。
(―――神よ、私は何か罪を犯したのでしょうか……)
王は自分の代のハズレエリスコアに、しょんぼりする王を無表情に眺めていつものごとく折れるのを待っていたリュカエルは、ピクリと眉を震わせた。気配に勘付いたアイギスが嘲笑うようにフォンフォンと唸り始め、それをリュカエルが無言で殴りつける。
「リュカエル様!!」
先触れどころかも許可もなく、重苦しい空気の謁見室に甲高い声が轟く。露骨に表情を歪めたリュカエルとは対照的に、王がパッと顔を明るくして立ち上がった。
「おお、ラヴィーナ! どうしたんだい?」
王女とは思えない不躾な振る舞いにも、顔をほころばせるほど親ばかな王には目もくれず、ラヴィーナはリュカエルへと走り寄ってきた。
「リュカエル様! いらしていると聞いて参りましたわ! これからお茶でもいかがかしら? 南部の新茶が届きましたの。」
「結構です。謁見中ですので、ご遠慮ください。」
リュカエルは王都中の令嬢が玉砕した、能面のような無表情で冷たく言い放った。その冷ややかさに、親ばかに火がついた王が額に青筋を浮かべる。
「気鬱の病で療養が必要ならば、我が娘とお茶でもして気分転換をしてみてはどうだ?」
「悪化します。」
不快そうな表情を隠すことなく、にべもなく返したリュカエルに王はますます苛立ちを募らせる。
「冷たいおっしゃりよう……ですが、気鬱の病が言わせた言葉と、理解しておりますわ……」
ラヴィーナは氷の聖騎士とあだ名される、リュカエルの美貌をうっとりと見上げる。それに心底嫌そうに顔を歪めたのを見て、王はとうとうぶち切れた。
「……いいだろう、リュカエル卿。休暇を許可しようじゃないか。その代わり休暇明けには我が娘ラヴィーナと婚約してもらう。」
「え! 本当ですの? お父様!!」
パッと嬉しそうに顔を輝かせ、父親に振り返ったラヴィーナに王は頷いた。挑むようにリュカエルを見やると、王は顎を反らした。
「王家は神の代行者の血筋を絶やさぬ義務がある。エリスコアは今やリュカエル卿ただ一人。成人後も婚約もせず、休暇の度に神の愛し子の下に行っている。そろそろ身を固めてもらわねば。」
「そうですわ! 代行者の血筋の継承は絶対の義務。エリスコアの血を残せるのはもはやリュカエル様お一人。私を置いてリュカエル様ほどのお方に釣り合える物など他にはいませんもの!」
キラキラと目を輝かせて身を乗り出したラヴィーナに、リュカエルは軽蔑すら滲ませて不快そうに眉根を寄せた。王は口元に笑みを刻むと、リュカエルの腰に視線を落とす。
「……アイギス様も同意されているのだろう?」
休暇の許可からずっとヒュンヒュンと刀身を鳴らすアイギスに、王は満面の笑みを浮かべる。
「賛同しているとでも? 代行者でもなければ、神器の意思は汲み取れないでしょうに……」
冷ややかに言い放ったリュカエルに、王は頷くも口元の笑みは消えなかった。
「代行者の血筋の継承を、神が拒むことなどあり得ない。ましてリュカエル卿は最後の庇護の代行者。その血筋を残す相手を王女とすることに、神が反対される理由など見当たらないだろう?」
「…………」
一矢報いたことに満足気に玉座に身を沈める王の横で、ラヴィーナも期待するようにリュカエルを見つめた。激しく唸るアイギスを押さえながら、沈黙していたリュカエルがニイッと口角を上げた。
―――神よ。祈りを無視し続けてきた、傲慢で無慈悲な神よ。
リュカエルは顔を上げると、まっすぐに王を見据えた。
「……いいでしょう。こちらの提示する条件を了承頂けるなら、受け入れます。」
「……なっ!! う、受け入れる? 本当か! じょ、条件とは!」
半分は嫌がらせのつもりだった王は、受け入れられて思わず身を乗り出した。その横で勘違いしたラヴィーナも顔を輝かせる。その様をひっそりと嗤いながら、リュカエルは必死にヒュンヒュンするアイギスを無視しながら口を開いた。
「休暇は一年間。」
「い、一年だと!! そんなに長く王都を空けるというのか!! おい! すぐに神託を持ってこい!!」
バタバタと行政官が駆け出すのを見送り、リュカエルは続けた。
「休暇の期間中、一度でも代行者として呼び出すことがあれば、この話はなかったことに。そして二度と蒸し返すことがないようにしていただきたい。僕は休暇を有意義に過ごしたいのです。」
急いで駆け戻ってきた行政官から、聖書を受け取り王とラヴィーナが神託を忙しく確認する。何度も何度も確かめて、顔を上げた王にリュカエルは美しく微笑みかけた。
「何もないでしょう?」
「あ、ああ……」
動揺に手を震わせながら王は頷いた。神託とリュカエルに何度も視線を走らせる。王族との婚姻でエリスコアに、手綱を付けられるかもしれない。あまりにも話がうますぎる気がしても、それが叶うのならばと心は揺れる。
何度確認しても、神託には庇護の代行者が必要だろう事案は記されていない。厄災の動向について神託が、なされなかったことなど一度もなくこの先しばらくは平和そのもの。
「お父様!」
喜びにはち切れんばかりのラヴィーナが、なかなか決断しない父親をせっついた。甲高く唸り続けるアイギスの鳴りが、まるで決断を促す励ましのように聞こえて、王はつばを飲み込むと決断した。
「………休暇を、許可する。」
「ありがとうございます。」
いつもより深い礼で笑みを隠し、リュカエルは警告に必死に唸るアイギスを握りしめる。
―――神よ、奇跡は自分で起こします。
リュカエルはその足で、一年間の休暇へ入った。
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