聖騎士様の凱旋

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聖騎士様の凱旋

「見て見て! 羊だよ!!」 「違うよ。ヒゲがあるだろ? あれはヤギだ。そうでしょ? リュカ兄ちゃん」  エリスコア家の白い豪奢の馬車から、身を乗り出したスーロがシュルツに跨ったリュカエルに声をかけた。最高に上機嫌なリュカエルがスーロに笑みを返す。 「うん、ヤギだね。でもスーロ、馬車から身を乗り出したら危ないよ」 「だってそうしないと景色がよく見えないんだもん!」 「スーロ、それでもだめだ。アンナからも言って?」 「そ、そうね……危ないわ。スーロ」 「はーい……」  スーロが不満そうに顔を引っ込めた。アンナはため息をついて、後ろからしっかりと抱き込んでいるリュカエルをそっと振り返る。リュカエルはニコニコと笑みを返した。 「アンナ、どうかした?」 「あのね、リュカ。私も馬車に乗りたいんだけど……」  ただでさえ目立つ真っ白なエリスコアの馬車。それが四台も連なり、街道を占領している。さらには美しい神馬にまたがる美貌の公爵。先のドラゴンの狂化を止めた護国の英雄だと、当然道ゆく人の注目を浴びていた。  そればかりか噂を聞きつけた近隣住民がまでも街道に詰めかけお祭り騒ぎになっている。リュカエルに抱きしめられたアンナは、消え入たそうに身を縮めてリュカエルを見上げた。 「何度も説明したでしょ? 馬車よりシュルツの方が揺れないんだ」 「でもリュカ。馬車だってほとんど揺れてないじゃない。だから……」 「ダメ。僕達の赤ちゃんに何かあったらどうするの?」 「リュカ!!」  咄嗟にリュカエルの口を両手で塞ぐも、手遅れだった。リュカエルの声に反応して、ざわりと詰めかけた住民達がささやきを交わし合っている。  アンナは焦って俯いた。もうすでにどう振る舞えばいいのか、困惑するほどの注目に顔を上げられない。目立ちまくる行列な上に、いつの間にか用意されていた豪華すぎるドレスで、視線はリュカエルばかりかアンナにまで集まっている。これ以上大騒ぎになるのは耐えられない。羞恥に震えるアンナに、リュカエルは笑みをこぼした。そのまま口を塞ぐアンナの手を優しく引き剥がすと、頬に唇を押し付けた。 「「おおっ!!」」 「「まあっ!!」」  街道に詰めかけた群衆が、思わぬサービスに喜色に満ちた歓声をあげた。びっくりして固まったアンナの顔がみるみる茹で上がっていく。 「リュ、リュカ!!」 「ふふっ真っ赤なって、アンナかわいいね」  目を見開いて口をハクハクさせるアンナを覗き込み、リュカエルが嬉しそうに笑みを煌めかせた。その美貌に街道のあちこちから黄色い声が響いてくる。リュカエルは全く群衆を頓着することなく、アンナの手を握り込み腰を引き寄せた。 「どうして隠すの? 赤ちゃんが生まれるのはおめでたいことでしょ? それにね僕とアンナが結婚することは国中が知ってる」 「そ、そうだけど……でもこんなに人がいるところで……!!」 「夫婦仲がいいことは恥ずかしいこと?」 「そうじゃないけど……でも……」 「それとも唇じゃなかったのが不満?」 「……っ!!」  ますます赤くなったアンナが、大急ぎで唇を隠すように俯く。アンナの反応にくすくす笑いながら、リュカエルが耳朶にそっと擦り寄った。 「じゃあ、唇へは二人のときね……」 「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」  今度こそ何も言えなくなったアンナを抱きしめながら、ご機嫌な主人にシュルツは呆れたように鼻息を吹き出した。リュカエルの腰でアイギスも同意するようにビーンと低く唸る。 《全くエリスコアときたらどいつもこいつも……》  見せびらかす派のエリスコアらしく、派手に見せびらかしてご満悦なリュカエルにアイギスは呆れ返っていたが、やっておくに越したことはないと思い直す。半分以上は見せびらかしたいだけだとしても。  向かうは王都。愛し子よりも代行者の恩恵に浴する上位貴族の巣窟だ。テラード男爵のように末端貴族でもなければ、愛し子の恩恵を理解できていない。そんな者達の口を塞ぐものは多い方がいい。子供ができない愛し子だとか言われたら、リュカエルは何をするかわからない。 《それにしても見物だったな……》  タルムの街を出発する時のテラード男爵の顔を思えば、今は小言を言うのも無粋だろう。アイギスは忍び笑うように鍔を鳴らした。  馬車に神父と子供達が揃って乗り込んでいることに、呆然としていたテラード男爵。結婚式への参列が理由では、止めだてなどできようはずもない。顔色を青緑にしていたのは、何度思い出しても気分がいい。 《まあ、それでも二、三ヶ月か……》  孤児院一行はリュカエルとアンナと分かれて、このまま結婚式を行うエリスコア領へ向かう。王都で婚姻の手続き諸々を済ませてからの結婚式。  タルムから愛し子とアンナが気にかける孤児達を、引き離しておけるのはその期間が限度だろう。それでもちょうど実りの季節を迎える今、愛し子の恩恵を受けられないタルムには相当な影響が出るはずだ。 《多少は溜飲が下がったはず……》    この程度の仕返しで我慢してくれるなら、穏便だとすら言える。このために駆けずり回っただろうギースの苦労も報われた。ぜひ賃金を上げてやってほしい。アイギスはうんうんと頷くように揺れながら、沿道に集まった群衆を眺めた。   《神よ、どうか愛し子をお守りください……》  床に転がされたアイギスを、そっと拾って優しく立てかけてくれる愛し子。その身に宿った小さな命が、愛し子に似てくれたら嬉しい。もうエリスコアはお腹いっぱいだ。  神の寵児(ドラゴン)の恩恵に、幸せそう微笑む姿を見守ってきた。アイギスは真っ赤になって俯くアンナに、愛おしそうに目を細めるリュカエルを見上げる。  妊娠の知らせに目を真っ赤に潤ませ、何度も愛し子に感謝を伝えていた。神にではなく、自らの(アンナ)へ。 《幸せそうだな……》  世界の秩序と天秤にかけてもでも望んだ願い。その幸福を謳歌する姿は、アイギスの心も震わせるほど嬉しそうで。 《何事もなければいいが……》  その幸福が脅かされそうになったなら。躊躇いなくリュカエルは天秤を傾ける。進む行列の足並みに合わせて、華やぎ始める街並み。近づく王都。アイギスは本当に余計なことが微塵も起こらないようにと、心の底から祈りを捧げた。
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