エリスコア家の救世主

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エリスコア家の救世主

 リュカエルが得意げにお披露目したドレスに、アンナは頬を高揚させて目を見張った。 「きれい……」 「気に入ってくれたなら良かった」 「でも……こんなにきれいなドレス、私に似合うかしら……」  どこからどう見ても高級品。値段の想像もつかない美しいドレスに、伸ばしかけた手を止めてアンナは不安そうに俯いた。リュカエルが驚いたようにアンナを振り返り、ぐいっと腰を引き寄せた。 「アンナにしか似合わないよ。アンナのためだけのドレスなんだから!」 「そうです! 奥様はとてもお綺麗です! 奥様のためだけのドレスですよ!とれだけお似合いになることか!!」  侍女達の熱のこもったキラキラした眼差し。拳を握っての励ましに、アンナは照れたように笑みを浮かべた。 「リュカ……みなさん。ありがとうございます」  執事と侍女達は感激したようにアンナを見つめ、リュカエルはムッとしたように眉を顰めた。 「……ねえ、アンナ、ドレスを用意したのは僕だよ? どうして他の人にまでお礼を言うの?」  拗ねたようにアンナに声をすがらせ、執事と侍女達を振り返るとリュカエルは、バレないように彼らを睨みつけた。使用人達は肩を縮めたが、アンナは首を傾げる。 「リュカはずっとタルムにいたでしょう? 用意するように伝えてくれたのはリュカでも、実際に準備してくれたのは皆さんだもの……」 「奥様……!!」  ギースが感激した声をあげ、侍女達も新しく屋敷にやってきた奥様に潤んだ瞳を向けた。 (やはり救世主……!!)  リュカエルの不満げな視線も、この喜びの前では気にもならない。ギースは目頭を押さえた。侍女達もタルムから戻るたびに熱く語っていた、執事長の話に間違いはないと胸を押さえる。  アンナが屋敷に来てからもう何度も噛み締めた喜び。もう噛み締めすぎて味がしなくなっていても、未来の明るさに何度でも噛みしめずにはいられなかった。  ギースが突然タルムに例のドレスを持ってくるように呼びつけられてから、王都に戻るたびに語って回っていた話は、エリスコア家の使用人達の間ではもう神話級の扱いになっていた。 「なんでこれでいいと思ったの? 僕のアンナに似合うのはもっと淡い青だから。それとこんなに肩を出すのはあり得ない」  呼び出されて開口一番、主人(リュカエル)がギースに言った実に主人らしい一言。そこに救世主(アンナ)が現れたという。 「リュカ? どなたがいらしたの? まあ、王都からわざわざこれを届けに? リュカ、どうしてお茶もお出ししていないの? え? すぐに王都に帰る? 何を言っているの? お礼も言っていないでしょ? 執事だからいいなんて……どうしてそんなことを言うの?」  信じられないことに、主人が膝をついて謝ったという。アンナに。「リュカ? 謝るのは私ではないでしょう?」と主人を叱りつけ、ギースに無礼を詫びさせたとか。  最初は誰も信じていなかった神話だが、用事が増えタルムから帰った者が同じ神話を語る。さらには結婚して救世主が、屋敷の奥様となるらしいと聞いて、エリスコア家が歓喜に沸いた。  三大公爵家の一つエリスコア家に仕えるのは、非常に名誉なことだった。厳しい審査を潜り抜けた者だけが掴める栄誉。さらには王都で一番賃金の高い職場でもある。休暇もちゃんとくれる。  ただ最高に主人は気難しい。賃金が殆どが慰労手当と言っても過言ではない。使用人を寄せ付けず、そのくせ要求される仕事の水準は高い。  エリスコア家の栄誉と、主人の美貌に釣られて来た者は大抵すぐに解雇される。生き残る使用人は仕事に矜持を掲げた有能な人材ばかりだが、主人の扱いづらさにはほとほと困り果てていた。 「奥様の白い肌に本当にお似合いです!!」 「閣下の瞳の色に合わせた装飾は、奥様だけが身につけられるお色です!!」 「……ありがとう……」  かわいい!! 照れたように俯くアンナに、エリスコア家の使用人達は目を輝かせた。超優しい上に、なんかこう守りたくなる。扱いづらい事この上ないと思われている主人が、アンナを抱き寄せて口を尖らせた。 「……アンナ。僕がアンナに似合うドレスを吟味して、デザインだって考えたんだよ?」 「うん……本当にすごくきれいだわ。リュカも皆さんもありがとう」  どうやってもリュカエル一人だけに視線が向けられないことに、本格的に主人がすね始めたのを感じて、ギースは内心で呆れながらニコリと笑みを浮かべた。 「私共は(残念ですが)これで下がらせていただきます。閣下が本当に(重箱の隅をつつくように)こだわり抜いて奥様のためにご用意されたドレスです。喜んでいただけて、我々もお手伝いさせていただいた甲斐がございます。(命の危険があるので)失礼致します」  まだアンナをキラキラと見つめている侍女達を促す。扉を閉める前にチラリと盗み見たリュカエルが、満足そうに扉が閉まるのを待っている。本格的に機嫌を損ねる前に退散して良かったとギースは胸を撫で下ろした。 「……アンナは使用人達が気に入ったみたいだね」 「ええ、皆さん私にもとても親切にしてくれるの……リュカは人を見る目があるのね」 『……採用担当をしているのはギースだが?』  ブーンと低く唸ったアイギスを揺さぶって黙らせると、アンナににっこりと笑みを向けた。 「アンナに褒められて嬉しいな……失礼なことをする者がいたら僕に言ってね? アンナはエリスコアの女主人で、僕の奥さんなんだから」 「……でも私は何をしたらいいのか……」 「大丈夫だよ。誰でもできる仕事は僕が任せられる者に割り振るから。アンナには一番大事なお仕事だけ一生懸命頑張ってほしいな」 「一番大事な……」  ずいっと腰を引き寄せたリュカエルに、アンナは緊張しながら頷いた。想像以上に立派な屋敷。広く美しい庭。たくさんの使用人達。教会と孤児院の仕事しか知らない平民の自分に務まるか不安だった。それでもリュカエルの助けになりたいとアンナはグッと顔をあげた。 「が、頑張るわ!!」 「ありがとう。アンナにしか任せられない仕事だから……そう言ってくれて嬉しい……」 「最初はうまくできないかもしれないけど、でも……」 「大丈夫、アンナは上手だよ」 「え?」  首を傾げたアンナに、リュカエルは蕩けるように瞳を細めた。片手でそっとアンナの髪をかきあげ、そのまま頬を撫でながら微笑む。 「キスして?」 「なっ!! リュ、リュカ!」 「頑張ってくれるんでしょ?」 「そ、それはお仕事の話で……」 「僕の奥さんが一番大事なお仕事だよ? アンナにしかできないことだ。ねえ、奥さん。旦那さんを甘やかしてかわいがって?」 「リュ、リュカ!!」 「ほら、早く」  かかんで目を閉じてキスを待つリュカエルに、アンナは赤くなって意味もなくキョロキョロと視線を彷徨わせる。早くと催促するように腰を引き寄せられて、アンナは覚悟を決めてリュカエルを見上げた。  滑らかな肌に伏せたまつ毛の影が落ちている美貌。うっすらと口角を上げている薄い唇が、アンナのキスを待っている。恥ずかしくてたまらなかったが、アンナは踵を上げてそっとリュカエルに顔を近づけた。   (頑張るからね……リュカ……)  そっと胸の中でつぶやいて、アンナはリュカエルの唇に啄むようなキスをした。リュカエルが嬉しそうにアンナを抱きしめる。その腕の温かさに不安が解けていくようで、アンナはホッと息をついた。  よく知っているはずのリュカエルは、確かにエリスコアだった。王都で見るリュカエルが、気品と威厳に満ちているように感じるのはきっと気のせいではない。  五歳も年上の平民の未亡人。リュカエルには相応しくない。神が結んでくれた結婚でも、どれだけの人が祝福してくれるだろう。  不安になるたびに、アンナはまだ膨らみのないお腹をさすった。愛し子だからと諦めていた小さな命。大切なリュカエルとの子供。神が与えてくれた奇跡に、精一杯応えたい。リュカエルと子供を幸せにしたい。  まるでアンナの祈りが聞こえたように、そっと離れたリュカエルにアンナは閉じていた目を開けた。 「贈り物があるんだ」  リュカエルはドレスの側に置かれた、きれいに包装された箱を手に取ると、嬉しそうにアンナに差し出した。 「開けてみて?」 「……ドレスだって用意してくれたのに」  感激に声を詰まらせながら、アンナはそっと包装を解いた。贈り物の中身を確かめたアンナはそのまま固まった。 「新しいものを用意するって約束したでしょ?」  するりとリュカエルが中身を取り出して、嬉しそうに掲げて見せた。繊細なレースがふんだんにあしらわれた、シルクのシミーズ。 「……リュカ……」  呆然と呟きをこぼしたアンナに、リュカエルは無邪気な子犬のような笑みを浮かべてみせた。 「着て見せて? すごく似合うと思うんだ」  王都で見るリュカエルは、気品と威厳に満ちて見える。でもその中身までが変わるわけではなかった。
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