あの日の誓い

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「許せない……」  奥様だけじゃなく、関係を持った女性を傷つける津久野さんがどうしても許せなくて、思わず声に出てしまった。  そんな苛立つ気持ちをもてあましながら、遠藤さんに頼まれたことを考えつつ、目の前でふさぎこんでいる奥様に声をかける。 「奥様、これからどうしますか? 遠藤さんに慰謝料を請求する書類など、これから作らなければならないですが」 「慰謝料を請求する気になんてなれません。すべては夫がしでかしたことで、本来ならこちらに非があるんですから、支払わなければいけないじゃないですか」  諦めに似た口調で返事をした奥様に、ハナがいち早く反応した。 「私には請求してください! 私は襲われたとかじゃなく、部長の誘いにまんまと乗ってしまったんです」 「でも――」  ハナが必死な様相で顔を上げて告げても、奥様はやるせなさそうに瞼を伏せてハナの視線から逃げる。それでもめげずに、ハナは語りかけた。 「こんなことで、奥様の心のキズが埋まるわけじゃないことくらいわかってます。いつかはこんな関係、やめなきゃって思っていたのに、それでも続けていたのは私の罪です」  私に津久野さんを紹介したときのハナからは、彼とうまく付き合っていることと一緒に、結婚を目指しているのを感じ取った。不倫をやめるなんて、そんなの微塵にも思わないくらいに、ハナが津久野さんに夢中だったのは事実。 (そう仕向けたのは、津久野さん本人なんだよね――) 「……だったら一番罪深い人に、なにか罰を与えないといけないよね」 「絵里?」  らしくないくらいに、怒りがこもった私の声に違和感を覚えたハナが、心配して手を掴む。 「だって一番悪いのは奥様がいるのに、ほかの女性にモーションをかけて落とし、騙しながら付き合う津久野さんじゃない」  膝に置いた両手をぎゅっと握りしめたら、その手を包み込むハナの手が、宥めるように甲を撫で擦った。 「ごめんね、絵里。そんな部長を好きになった私だって、充分に悪い女だよ」  泣き出しそうな顔をするハナを見てるだけで、怒りや悲しみが自分の中にどんどん渦巻いていく。私の怒りを鎮めるために甲を撫でている手だって、本当は私がハナにしてあげなければいけない行為なのに。 「あーもう! 津久野さんを縛りあげて、鞭打ちの刑に処したい気分!」 「それ、いい考えですね……」  苛立ちまかせの思いつきで言ったセリフに、奥様がなぜか同意した。 「やっあの、これはそんなことできたら、スカッとするかなぁと思っただけでして、けしてご主人を傷つけるわけにはいかないというか」  慌てふためいて否定した私を見た奥様が、はじめて心から笑った気がした。 「その気持ち、すごくわかる。あの人に慰謝料を払ってもらったところで、正直虚しさが残るだけだと思うんです。私はなんだったのかなって」  笑っているのに、その笑顔がすぐさま悲しげなものに崩れていく。愛するご主人を縛りあげた上に、鞭打ちするなんて物騒な言葉に、奥様が同意するとは思わなかった。
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