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 幼い頃、私は姉が嫌いでした。 なぜか? 養護の妹と、それだけでいじめの標的にされたからです。 それにおままごととか一緒に遊べない。 お父さん役やってと言っても姉にはわからない。 出来るのは砂場遊びくらいです。 結果的に私は弟と遊ぶようになりました しかも外遊びは姉は本当に小さい頃しかできなかった。 母が部屋に閉じ込めたからです。 当時、外を歩けば知恵遅れ、養護家族と私達は石を投げられました。 姉にとって外は怖い世界です。 学校でもいじめの標的にされました。 だから家から出さなければいいというのが母の考えです。 笑いものにされるのが恥ずかしいという感覚で隠そうとしました。 一定の場所、特定の相手だけが姉の世界の全てです。 だから外は怖い。 私が外で縄跳びしようと連れ出すと姉はガタガタ震えだす。 カチコチに固まって外に出るのを嫌がる。 だから私は弟と遊ぶ。 夏祭りさえ屋台の夜店さえ、姉は行くことがてきない。 近場の盆踊り大会もダメ。 浴衣着て盆踊り行こうねと誘っても、家の中で浴衣を着て お人形さんをしています。 実際に姉はお人形のように美人です。 色白で鼻が高く二重まぶた。 髪はカラスのような黒。 私は鼻ぺちゃで色黒、赤毛っぽい猫毛です。 雨の日は頭が爆発して貧乏パーマになります。 母は閉鎖的でとにかく姉を囲むように守ろうとしました。 本当は幼い頃から訓練してできる事を探してあげるのが 知的障害児にはいいのです。 知能指数は少なくても経験値は上がる。 興味のあることなら覚えることができる。 不思議とゲーム機のスイッチを入れたり録画したビデオを 自分で再生スタートとかしちゃいます。 私が教えたら電気ポットでお湯を沸かすことが 出来るようになりました。 母は頭から出来ないと決めていたようですが。 だから知的障害者施設にも行かず、地元の中学に通わせました。 養護学級があったからです。 中学を卒業する頃、姉は先生から養護学校を紹介されます。 高校の養護学校があるんだ! 調べたら中等部からありました。 母よ、なぜ早く行かせなかった?(-ー;) 送り迎えが面倒だったのでは? 小学生の頃は3学年違いなので私が送り迎えしました。 中学は同級生の養護学級の友達に頼ってたみたいです。 幼少時代の私は弟のごっこ遊びに付き合い、 毛嫌いしながらも姉の面倒を見る。 トイレも1人で行けない、お風呂も1人で入れない姉です。 お風呂で石鹼を持たせると、アライグマと化し 丸ごと1個、溶かしてしまいます。 お風呂で姉と背中を流しっこ。 いや、一方的に洗ってあげるのが日課になりました。
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