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兄
一方で兄も変わっていました。
理数系オタクで中学の頃に相対性理論を理解したと
いう変態です(変態と言います、だって本当に変人なので)
一般的な日常会話はできません。
だって口を開けば素粒子や中性子がどうしたと、
素粒子物理学の呪文を唱えるのです。
(呪文と言います、私には理解不能です)
おまけにあちこちに数式を落書きする癖があります。
そんな兄ですから就職先でいじめにあい、
相当な人間不信に陥ります。
診断名は鬱病。
外を怖がり散歩も夜だけに限定されます。
人に会うのが怖くなったのです。
でも家では普通にコミュニケーションが取れてましたね。
時々食べなくなりズーンと落ち込みもしましたが。
そしてスパーンと予告なしで居なくなります。
出没先は分かっています。
探しに行くと大抵コンビニや本屋に居ました。
(当時、コンビニの本は立ち読みが出来ました)
何時間も立ち読み~(* ̄▽ ̄)
本屋に嫌な顔されても堂々と居座ります。
本の虫なのです。
でも疲れて戻ってくると剥製になります
(剥製みたいに無表情になるときはそっとしておきます)
私が夜行性の兄をハムスターと揶揄えば、冗談とわかるのか
まんざらでもない顔で笑っていました。
兄が怖がったのは虐めた年上男性だったからです。
(だから父は苦手)
本当なら大学院の理系のポストドクターとかを
やってたほうがいいような人です。
でも大学への道は閉ざされてました。
そう、就職したのです。
陰険会社と見抜けなかったのが致命的なミスでしたね。
私と兄の進学は閉ざされました。
私は高校に進学していません。
父が脳梗塞になり医療費でそれどころではなくなったからです。
ヘルパーをつけると1日、1万円で飛んで行く。
もちろん医療費、ベッド代とは別にです。
当時はまだ完全看護と言う言葉自体なかったですね。
だから母が付き添いに毎日のようにつく。
私は家で姉や弟の子守り、家事の一切を賄いました。
どうせ馬鹿だから受からないと兄に言うと、お前は数学が問題だけど
国語と歴史が異常にできるからギリギリで受かるぞと
笑いました(行く気、なかったけどね)
でも金銭的な理由で諦めざるを得なかったのです。
優雅に高校ライフとはいかなかったですね、
学校に姉を連れて行って子守りは出来ませんし。
反対に姉と作業所に通いました。
実を言うと朝、作業所においていこうとすると姉が帰る!と
母に言うのです。
おいて行かれるのをすごく嫌いました。
母は父のこともあり作業所に通うのが困難になります。
だから私が代わりに送り迎えします。
私が帰ると姉も帰ろうとするので残り、一緒に作業所に通いました。
私の中卒からの5年間はほぼ作業所通いに費やされました。
そうこうしてるうちに父が亡くなります。私は20歳になってました。
病院をたらいまわしにされた挙句、家の預金も底をつきかけていました。
だから私は姉が作業所に慣れた頃、送り迎えだけして就職します。
ちなみに兄はまだ鬱病を引きずっています。
バイトしてもすぐに辞める。
なかなか克服できないようです。
年上男性のいない職場なんかないもんね。
しかしここで弟が問題。
ワガママに育った弟は私が居ないとダメな子に育ちました。
何かあると暴力をふるう。
私、弟との通訳役です。
思ったとおりにならないと弟はヒステリーを起こします。
ナイフ沙汰になることも少なくなかった。
自殺しようとするか刃物で脅すか?
これ、シャレにならないけど本当の実話です。
母に包丁を持ち出すことも度々ありました。
弟をなだめられるのは私だけなのです。
兄でも駄目だった、火に油を注ぎます。
理系のひょろい兄は腕力で弟に敵わなくなっていました。
だから仕事中だろうが電話の1本でヒステリーを
起こしそうになると私は早退させられます。
っていうか仕事にならん。
マジでシャレにならんから。
「俺の目の前で死んでくれ!」と母に言いました。
子供にそう言われる日が来ると母は想像したでしょうか?
そんな仕事のやり方をしてるとそうそう長くは続きません。
私は仕事を転々としました。
弟が1番荒れているとき、私には弟が宇宙人に見えました。
でも決して悪い子ではないのです。
一見して普通の子に見えます。
でも普通じゃないと弟なりに気づいていたのでしょうか?
小4で止まった知能指数。
友人と中学らしい会話が出来ない。
登校拒否になり、引きずられるように私も子守りで
自宅待機にならざるを得ない。
ストレスが過熱する。
そんな闇の中でとうとう警察沙汰になる。
弟は自殺直前に警官に確保されました。
そして躁鬱病と診断され、精神病院送りになるのです。
だから本当の意味で私が就職したのは
姉が入所施設、弟が精神病院から障害者施設に
入所してからの話になります。
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