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ーーその夜、僕は弟と電話をした。弟は大学生で、『ユータ』と同じ大学に通っている。今回彼女に取材ができたのは、彼が間を取り持ってくれたお陰だった。電話はその結果報告の為に僕からかけた。
「それで、どうだった」
繋ぐなりそう切り出した弟に苦笑しながら僕は、今日の取材のことかと一応尋ねる。
「そう、それそれ。性別・年齢非公開、新進気鋭のアーティスト、『ユータ』から聞く実体験の怪談。兄貴の創作のタネになるかもってことで話を繋いだけど、実際どうだった」
そうだねえ、と言いながら僕は手元の珈琲に一度口をつけ、それから言葉を続けた。
「割と面白かったかな。ざっくり言えば現実が侵食される系のありきたりな話なんだけど、緩急はついていたから興味深く聞いていられた。でも、最後の辺りの『ユータ』の行動が少し突飛とは思ったかなぁ」
「なるほど。その言い方だと、ホラー小説作家様から見れば今回のお話は作り話だと」
「何が作家様だか。僕は趣味でしているだけの文字書きだよ」
「またまたご謙遜を、立派なお兄様」
そう軽口を叩き合った後、僕たちの話題は両親のこと等に移っていった。
電話を切り上げ、寝る支度を済ませる。あくまで書き物は趣味であり、僕の普段は平凡な会社員だ。だから今夜、本当は記憶の鮮明な内に文字起こしをすべき所、明日の仕事に響かないよう早めにベッドに入ることにする。
だが、横になっても頭の中では、まだ昼に聞いた話の反芻をしていた。
弟の指摘した通り、『ユータ』から聞いた話を僕は実体験ではないと思っている。電話で話した彼女の行動ーーPCを用いた解決法の閃きと実行の不可解さもその理由だが、もう一点は『彼女』の行動の不可解さもある。
怪異が次第に忍び寄り、クライマックスに向けた段階的な恐怖を与えてくるというのは、あくまでフィクションで鑑賞者が楽しむ為の構造であって、きっとリアルのそれではない。
なのに、今日の話が本当だとすると、『彼女』はその構造で『ユータ』を襲ってきた。初めは匂いや気配で、次第にその存在感を強めていく。PCの画面も操り、最後には彼女自体が現れる。演出的すぎる。
仮に演出だとして、そんな悠長なことをしているから最後に、彼女は実在することを逃してしまった。これではあまりに間抜けが過ぎるのではないか。
そんなことを考えながら、スマホのチャットの記録をぼんやり眺める。見ているのは『ユータ』との会話だ。弟に間を取り持ってもらった後は直にやり取りをしていた。何とはなしに彼女のアイコンをタップする。画面いっぱいに、アイコン画像のひまわりが映し出される。
その時、スワイプしたのは気まぐれだった。過去のアイコン画像はどんなものか、気になって。
以前の画像は、一人の若い男性の写真だった。細身で眼鏡をかけた、大学生くらいの。
何の変哲もない画像だ。だが、なぜ彼女の以前のアイコンがこれなのか。彼氏だとしても、それをチャットアイコンにすることが果たしてありえるのか。
その時、ある嫌な想像が浮かんだ。
ーーこの写真の人物こそ、本物の『ユータ』ではないかと。三ヶ月前の夜に儀式を行い、怯え、『彼女』に囚われていたのは、彼だったのではないか。彼が綺麗な女性を横に連れていたから、話の中で出た友人は声をかけるのを躊躇したのではないか。例えば彼の本名が『ゆうた』だから、『ユータ』と名乗っていたのではないか、と。
その場合、今日の話をしたのは誰かなんて、考えるまでもない。間抜けなものかーー『彼女』はじっくり遊んだ後、本懐を遂げたのだから。
突飛な行動の部分だけが創作で、本当の彼女は解禁されて、彼の居た場所に取って代わった。
起き上がり、鞄から小型レコーダーを取り出して再生する。昼に取った会話が流れる筈だったが、だがそこには彼女の声は取れていなかった。
店内の喧騒は聞こえるから、録音自体できていなかったわけではない。だが彼女の声だけ聞こえない。代わりに何か、断続的に雑音が聞こえる。
しばらくして、それが呼吸音と気づく。マイクに口を密着させて息をしているかのように、ざー、ざーとノイズが続く。
そして、録音の最後の方でそれが唐突に止まる。呼吸音だけでない、店内の音も何もかも。
そして、最後に彼女の言葉だけがやけにはっきりと流れた。
「ーーこれで私の解禁は始まります。おめでとうございました」
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