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独白
うごめく〝棒〟を見ていた。
おそらくは生コンクリートを攪拌しているのだろう。規則的な、しかし僕にとってはひどく無気味に動いている〝それ〟からつと顔を逸らし、僕は工事現場を横目に目的地へと向かっていた。
高輪ゲートウェイという駅名が発表された当時こそ、多少なりとも揶揄の対象となったものだが、いつしか生活に馴染んでしまったいまとなっては、その奇抜性を口にすることもなくなった。しょせん人々は飽きっぽい。次から次へと目移りし運ばれてゆく。ベルトコンベアを用いる工事現場と、さしあたりなにが違うというのだろうか。
なんとはなしにエスカレータの手すりに触れると、ざらりとした砂塵が指につき僕はわずかに顔をしかめた。急ピッチで組織的に再開発を進める、高輪界隈ならではといったところか。それに対してなんら思い入れはない。岡山くんだりから二十歳のときに上京した僕はしょせん〝よそ者〟であり、そもそも関東地方のことに対して口出しする〝権利〟などない。東京にもう長く住んでいるからとか、働いているからとか、住民税は納めているからとか、それら種々の義務を果たしていることとこれは一切、関係がない。そうに違いないのだ。それでなければ前職の上司から日々、出自を揶揄されたことの説明がつかない。
――美星町。
昼休憩時のまどろみが、高齢の元上司が発した固有名詞で妨げられる。
――星が綺麗なんだろう。俺も行ってみたいんだよ。
「……、」
中途半端に覚醒したため視界が不明瞭であるにもかかわらず、下卑た笑いを浮かべた口許がやけに目につく。そもそも僕の出身地は岡山市内の干拓地であり、美星町とは距離を遠く隔てている。だが上司は僕の困惑など微塵も気がついていない。
どうだ、東京出身のこの俺が、田舎者のおまえごときに話を合わせてやってるんだぞ。ありがたく思え――
僕は唐突に浮かんだ自動思考を断ち切るため一度目を閉じた。数秒のうちに〝かた〟をつけねばならない。
……大丈夫。上司は〝気を利かせている〟つもりなのだ。明確な悪意は介在しない。悪意はないのだ、あくまでも……、「わからない」、だけなのだ、
「小学生のころ、サッカーの合宿で一度行きましたけどね」
目を開けたときには、すでに追従笑いとともに雑談の相手をする準備はできていた。
エスカレータを降り立つと上空を至近距離で旅客機が飛んでいる。それも一機どころではない。二機、それぞれが鋭角を一瞬の始点として、明後日の方向へと向かってゆく。たしか羽田空港が近いのだった。だがそれも田舎者である僕には至極関係のないことだ。
あの飛行機のいずれかが、僕の頭上へと墜落してしまえばいい。……またしても自然と浮かぶ自動思考を断ち切る「儀式」として、僕は指先でキャップのつばを握り深くかぶり直した。コロナ禍でマスクがすっかり日常と化したが、不謹慎にも僕にとってはこの上ない幸運だった。顔を隠してしまえばいい。中途半端な容姿でしかないのに、男たちは中性的な僕へのものめずらしさからか、接近しては僕の個を侵害しつづけた。これまで〝つきあった〟男は五人。これが多いのか、少ないのか僕には判断がつかない。五人目の男は生涯のパートナーとするつもりでいたが、ある日僕が犯罪に巻き込まれ警察を呼んだことを報告すると(ちなみに犯罪被害に遭うのはまれではなかった)、「巻き込まれたくない」とあっさりと別れを告げられた。「もともとさほど好きではなかった」とも言われた。それなら最初から告白などしないで欲しいのだが――まあ――いまとなってはどうでもいいことだ。
僕の〝男〟運のなさは常々友人らから心配されている。もうこれ以上心配をかけないためにも、あるいは、もっと「自分を大切に」するためにも(きわめて月並みなスローガンだが)、僕はもう男を近寄らせないほうがいいのだ。
とにかく僕は仕事を完遂せねばならない。〝通院先〟へと向かうのだ。そう、精神科へと。
僕は精神保健福祉手帳を所持している。いわゆる〝精神障害者〟なのだ。
「土日はなにをしていましたか」
犯罪被害に伴って転居をしたことにより、諸々の手続きを経てこのクリニックへとたどり着いた。精神科の転院はなかなかの重労働である。社保はもちろんのこと、自立支援医療も住所を書き換えねばならないし、紹介状も取得せねばならない。
――土日はなにをしていたか。
たしか前回の通院時も聞かれたような気がする。診察のルーティンなのかもしれない。あるいは紹介状に「劣等感から生活は引きこもりがちです」などと書かれていて、生活の確認のために聞いているのかもしれない。真意のほどはわからないが、いずれにせよ土日の行動を回答するだけでよい。
「とくになにも――掃除をして、たまごを茹でて……あぁ、図書館は行きました」
そして主訴をつけ加える。
「いやな記憶が次々とよみがえってくるんです。やめようと思っても執拗に、自動的に繰り返されます。横たわって天井をながめているときが多いですね、」
生々しい記憶の苦しみを切々と訴えるつもりが、予想以上に淡々としてしまい自分でも困惑した。特段、重病人扱いされたいわけではない。ただ、本当に困っているのだ。仕事中はかろうじて集中できるが、疲弊して帰宅し、横になった瞬間記憶が次々と再生される。これでは趣味や勉強どころではない。困っているのだから、事実を正確に伝えるぶんには問題なかろう。それは診察の範疇というものだ。
主治医は「そうなんですね」と答えた。他人事というふうではなく、かといって熱心に傾聴するわけでもない。ただあっさりと受け留めるような口ぶりである。簡単にトラウマとかPTSDなどの診断は出さないようだ。まあ、それは医師として至極まっとうな姿勢であると思う。ここでの僕の診断名は、引き続きASDということになっている。
その後、処方の確認をして、次回の予約を押さえて診察は完了である。処方箋をバッグに仕舞いながらエレベータに乗り込んだ瞬間、伝え忘れていたことを思い出した。
「……、」
また次回への持ち越しとなってしまう。
ごり、と拳の骨の出っ張りがこめかみにめり込み、激痛で視界がくらむ。
――なぜカッターの刃を出しっぱなしにしておくんだ。
なんとか体勢を立て直し、混乱した意識で父の叱責に耳を傾ける。意味を汲み取らねばならない。両親いずれであっても、その本意を瞬時に理解し、両親の「望むように」行動しなければ、またしても次の暴力、ないし暴言が降りかかるのは自明の理だ。
――人のことを考えないのか、おまえは、
父が掌を押さえている白い布、布のようなものが紅く染まっている。血だ。父は怪我をしているのだ。
僕は咄嗟に先ほどの言葉を脳内で繰り返す。なぜカッターの刃を出しっぱなしにしておくのかと父は問うた。意味がわからない。カッターを使用した記憶はない。そもそも僕はカッターを所持していない。玄関の工具入れのカッターのことを言っているのか? しかし工具入れの道具を使うのは父しかいないではないか。
僕は転倒した姿勢のまま、弁明しようと父の顔を見上げた。子ども心にも父の表情に怒りが滲んでいるのがわかる。掌の怪我ばかりが理由ではなさそうだ。
会社で受けている冷遇。父を愛さない母。ソ連で抑留された父(祖父)を持ち、幼少期より親戚内を転々として過ごしたと親戚から聞いた父、そのやり場のない憤り、くやしさ、そういったものを、怪我を契機としてすべて子どもにぶつけようとしているのだ。
僕は一瞬押し黙った。そしておもむろに口を開いた。
「ごめんなさい」
謝ると、父は僕を一瞥したのちリビングへと去って行った。
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